紅い鎖_2

悲劇の女王と悲運の国体


国体…それは文字通り国が人の体の形を持ったものである。

他国なら大切にあがめられる…あるいは統治者の隣に立ち、時に国の行く末について話し合うような存在…。
ところがイングランドにおいては違った。

イングランドの国体はその身を城にはおかなかった。
森と湖の国の国体らしく、妖精たちと心を通わせながら自然の中に身を置き、時折り必要な時だけ森の入口に使者が訪ねて来ると、城へと足を運ぶ。

それは国家の節目…例えば戴冠の時であったり、国のちょっとした祭りの時であったり…王によっては己の子が生まれた時に祝福を受けるために招いたりする者もあった。

遠い昔、イングランドがフランスに占領された折には、フランス軍によってフランスに連れ去られた事もあったが、少なくともイングランドの国内、代々のイングランドの統治者達の間においては、政治的な意味合いよりは、良く言えば象徴として、悪く言えばお飾りとして、祭りや行事にちょっとした花を添えるためだけに過ぎない存在として扱われている。

そんな普段はお互い不干渉を貫きつつも平和だった人間の王との関係は、1人の王女が国を統べる女王となった時に崩れ去ったのである。


その女王は悲劇的な人生を歩んできた女性だった。
母親は遠く海を越えた大国スペインから嫁いできた王女。
父親はイングランドの王である。

最初はイングランドの側から伏して妻として迎え入れた大国の王女。
彼女は非常に聡明な女性であったし、妻として優れた女性ではあったが、妃としては致命的な事に、男児を産む事ができなかった。

生まれたのはその王女1人。
それが原因で王の気持ちが離れ、若い侍女に心を移した王により、王妃は離婚され、王女は廃太子とされ、不遇の時代を送った。

本来離婚を許さぬカトリックを捨てて、離婚するために新しく宗教まで作っての離婚だ。
敬虔なカトリックの信者であった母娘の心もプライドもずたずたにされたことは想像するに難くない。

結局その後、その侍女も娘1人しか授からず処刑され、次の妻との間にようやく生まれた男児も若くして亡くなり、王の直系の子孫は姉妹二人。
そこで長子である王女は復権し、王位につく事になったのだ。

が、女王は自分の母を貶め、自分と母を苦しめた自分の故国を憎んでいる…。
国を憎んでいるのだからその憎しみは国体自身にも向けられた。

嫁いでから誠実に国に尽くした母が貶められた時も、まぎれもなく王の子である自分がその資格を取りあげられた時も、救ってはくれなかった祖国。

ただ離婚をしたいがゆえに、正統であるはずのカトリックを捨てて新教に走るなどという、神をも恐れぬ所業に出た王を罰する事もなく、城に足を踏み入れる事のなかった国体…。


人とは違う存在ということで、人はしばしば国体にそれ以上の力を期待する。
が、国体というものは長い時を生き、国の状況が体に出る。
ただそれだけの存在なのだ。

人の側の都合が国体に影響を及ぼす事はあっても、国体が国に特別な力を持って影響を及ぼす事などできるわけではない。

イングランドの国体はまだ少年と言って良い肉体を持った若い国体で、長く生きている分多少の知識と技術はあるといっても、その他は年相応、出来ることなど13,4歳の人間の少年とさして変わるものではない。

しかしながら、この悲劇の女王もまさにそういう、国体に特別な力を期待していた人間の一人だったのが彼の何よりの不幸だった。


女王が即位してまず行ったのは、国内の信仰を元のカトリックに戻す事。
そして自国がスペインの王女である母に行ってきた非礼を、その娘ではあるが半分は加害者である男の血を引くイングランドの正統な女王として、詫びる事である。

その国の象徴であるはずの王家の人間を貶め、さらにそのために正しい信仰を捨てるなどと言う神をも恐れぬ所業を行ったのだ。
この国はそれに見合う報いを受けるべきである。

悲しみと憤怒の中で育った女王はそう考えた。

ゆえに新教にかかわった不届き者達を容赦なく弾圧し、後世に「血の女王」と呼ばれるほどに多くの血を流した。
そして国内の粛清とは別に、非礼を行ったスペインとの関係の修復。
それは女王の悲願であり、修復と再度の結びつきをと、自身とかの国の皇太子との婚姻を結ぶ事にした。

しかしそれでは足りない。
謝罪が十分ではない。
それはスペイン側の…というよりは女王の気持ちである。

王族を貶めたのだから、本来なら同様の事をもってして、初めて相応の謝罪となるはずと思うものの、唯一の肉親である異母妹は色々と油断のならない女だ。
母を貶めさせた狡猾な女の娘。
それを大切なスペインに送って何か問題を起こしたら…そう思うと使えない。

そうなると王族に見合うほどの者を…と考えると、1人しかいない。
自分達母娘を見捨てた祖国。

復讐と謝罪の道具。
考えれば考えるほど丁度良い気がして、非常に楽しい気分になった。
裏切られ、見捨てられた悲しさは、聡明な母から生まれて本来聡明な女王となるはずだった王女の目を完全に曇らせてしまった。

使者に呼び出されて連れて来られた国体が、まだ頼りないほど華奢な少年である事を目の当たりにして感じたのは、憐れみより嗜虐心。

彼女の脳内では無慈悲に母を捨てた父、狡猾に母を陥れその王妃の座を奪った卑しい侍女への憎しみが、まさに今目の前の少年へと向けられていたのだ。

肉体的苦痛だけでは足りない。
心まで粉々になるまで痛めつけられねば、自分達のあの、高貴に生まれながらも身分を奪われ、虐げられて信じる神まで侮辱された無念は晴らされない。

スペイン帝国への謝罪として彼女が提案したのは、心よりの謝罪と恭順の証として、その少年をスペインの国体の妻として送るというものだった。

二度とスペインをないがしろに出来ないように、自らの国を体現するものをその下に置く。

スペインの側としては正直なところ、イングランドに対してそこまで感情的なものはなかったのだが、戦略的にイングランドが自国に付いて恭順を示すと言う事に対して、異を唱える理由はない。
戦略的にはとても魅力的な申し出だ。

ということで、この話はとんとん拍子で正式に決定し、スペイン…そして女王が信仰する宗教がカトリックと言う事もあって、国体なので性別はあってないようなものではあるが、同性としてではまずかろうと、少年は飽くまで“花嫁”という体裁を取って、スペインに送られる事になったのである。


もちろんそれが常であるように、即位した女王との顔見せと言う名目で呼び出された国体の少年は、屈強な兵士が取り囲む謁見室でそれを聞かされた時、当然のようにそれを拒否した。

他国に送られると言うことは過去にもあったが、それは敗戦国として勝戦国であるフランスの側に連れて行かれたのであって、自国の王に売り渡されるのとはわけが違う。

しかも花嫁?なんの冗談だ。

そう抗議するものの、女王は元より本人の言葉など聞く気はない。

翌日には出発するからと、強引に飲まされた睡眠薬で眠らされている間に、湯殿で体のすみずみまで磨かれ、こんな状況には不似合いなほど美しく上等な花嫁衣装をまとわされ…しかし暴れないようにと、それにまた不似合いな荒縄で両の手首を拘束、それよりは若干柔らかい綿の猿轡をかまされた状態で、船上の人となったのであった。






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