ローズ・プリンス・オペラ・スクール第十章_4

闇の世界の最奥で…



ざわりと嫌な感じがする。

遠くで…方向もわからない…しかし劇場の魔物の時とは比べ物にならないような…ひどく恐ろしい気配…。

しかしこの現実感のなさは夢なのかもしれない…とアーサーは思った。

悪酔いしそうな歪んだ空間を超えて見えてきたのはひどく気味の悪い世界だった。

そこは瘴気に満ちていて…足を踏み出すとグシャリとまるで水を吸った靴を履いて歩いた時のような、なんとも言えない不快な感触がする。

周りにはドロドロとした…そう、外見は様々だがどれもドロドロとかそんな形容詞しか思い浮かばないような気味の悪い魔物達が蠢いているが、こうして1人歩いていてもそのどれもがアーサーに気を止めないところを見ると、やはり夢を見ているのだろう。

閉じてしまったゲート…
戻ることは出来ず、ここに留まっているよりは進んだ方がまだマシな可能性があるかもしれない…と、アーサーは遠くに見える巨大な建物を目指して歩きはじめた。

まるで廃墟のような…それでいて他者を拒絶するようなその建物は表面を一面蔦のようなもので覆われていて、しかしそれが人間界のものと違うのは、蔦の葉には口がありシューシュー紫色の煙を吐き出している事である。

あの煙には見覚えがある…。
劇場の魔物の催淫効果のある体液…。

アーサーは眉を顰めるとマントで鼻と口を覆う。

扉が固く閉ざされていて、さてどうしようか…と思う間もなく、足は自然とその扉へ。
歩を踏み出すと当たり前に扉を通り抜ける事が出来た時点で、ああ、これは夢なのだ…と改めて実感した。

見たことも無ければ当然訪ねた事もない城だったが、当たり前に足は滑るように進んでいく。
まるで何かに導かれるように…奥へ奥へと…

外から入り口あたりまでにいた魔物と違い、城の中の魔物は知能を持っているように思えた。
入り口から奥へと向かうにつれ、より高い知能と魔力を感じる。

しかし相変わらず周りはアーサーに気づくことはなく、足は導かれるまま最奥の大きな扉の前まで進んでいった。

ここにたどり着いた頃にはアーサーの脳裏を占めるのは気味悪さよりも圧倒的な恐怖だった。
この扉の向こうが恐ろしい…逃げたい…なのに足は当たり前に扉をすり抜けて奥へと進んでいった。


扉を抜けると正面には大きな白い竜…と、金の卵。
そして白い竜の身体の中にズルリズルリと埋もれていく黒い髪の青年…。
まず口から血を流した白い顔が竜の中に消えていき、最後に残った指先にはターコイズの指輪…。
しかしそれもやがて竜の体内にと埋もれて取り込まれて行った。

感じるのは本能的な恐怖。
アーサーは悲鳴を飲み込み硬直するが、動かない足はなぜか床を滑るように白い竜の横を通り越して、さらに奥のカーテンの中へ…。

バサリとカーテンにぶつかりそうになって思わず目を閉じたアーサーの耳に響いてきたのは

――新しい魔王が…生まれた…

という声。


どこか親しみに満ちた…初対面とは思えないような声。
なのに目を開けたくない…開けてはダメだ…と本能が告げる。

なのにそんなアーサーの意志を無視するように目を開かなくても目の前の映像がアーサーの頭の中に直接焼き付けられた。

――うわぁあああぁあああ~~~!!!!!!
圧倒的な恐怖と嫌悪感。
そこにはまさに地獄絵図があった。

――落ち着いて…落ち着いて欲しい。もうあまり時間がない……。

なだめるような声音は大人が子どもを諭すような…上の兄弟が下の兄弟をなぐさめるような…そんな響きがある。

――大丈夫…君は今精神体だから、ここで直接危害を加えられる事はないから…。

さらにゆっくりと背をなでるような柔らかな声音に、アーサーはようやく我に返った。

どこか初対面のような気がしないのは、彼が持つ月の属性の魔力のせいかもしれない。
溢れ出てくる安らぎを司る月の魔力…。

おそるおそる正面に目を向けると、さきほどの白い竜よりかなり大きい竜の胸元からアーサーを見つめる二つの綺麗なグリーンの目。

少女のように優しげな顔立ちで、床を金色の波のように埋め尽くす髪は、彼がどれだけ長い間この状態であったかをあらわしている。

「魔物に…食われても生きてる…のか?」

さきほどの部屋の青年は白い竜に埋もれていったように見えた。

一体ここの魔物…いや、魔物と人間の関係というのはどうなっているのだ…。

結局アントーニョのところで情報を止められていたため、アーサー自身は人間が取り込まれるという知識すらないのだ。

何がなんだかわからず、ただひどく背筋が寒くなるような光景を前に混乱することしかできないアーサーに、青年は少し憐憫の目を向けた。

――説明するには時間はない。可哀想だけど、見せたほうが良い記憶も見せないであげた方が良い記憶も、私が知る全ての知識と記憶を君の頭の中に直接流し込ませてもらう。
繰り返すが、時間がない。
次の魔王の卵はもう生まれてしまった。
それが孵る前になんとか魔にゲートを開かせてこの世界に来て、卵を破壊しないと魔は止まらない。
魔王の花嫁の魔力しだいでは、魔物が人間の世界に溢れかえってしまう…。
急いで…


その言葉と同時にアーサーの意識は何かに引きずり込まれるようにはるか過去へ飛んだ。




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