天使な悪魔_5章_1

消えた事実


「俺は実はスパイなんだ…」
という言葉に対する返答は

「とりあえず籍いれよか」
だった。

もうわけがわからない。
もともと不思議な男だったが、もう完全に理解の範疇を超えていた。

事実を話すとか虚構で騙すとか、そんな以前に会話が成立していない。
いや、自分がわからないだけで彼の方では成立しているのかもしれないが…。



「わけわかんねえよ…」
とさすがに呆れて返すアーサーに、

「この国は同性婚認められとるんやで。大丈夫」
とにこやかに言い放つアントーニョ。

「へ~、そうなのか……じゃなくてっ!」
ほぼ外に出ることを許されなかったアーサーには縁遠すぎて興味もなかったが、普通は男女でするものだと思っていたので素直に驚いて…しかしハッと気づく。
問題はそこじゃない。

少し声を大きくすると、アントーニョが慌ててそれを止めた。

「あんま興奮したらあかんでっ。
この前外の空気吸ったせいで、今アーティーの身体めっちゃ弱っとるんやから。」

言葉の後半でひどくつらそうに沈み込む深いグリーンの瞳。

「…なんもせえへんよ?アーティーが嫌がる事なんてなんもせえへん。
でも身元不確かなんが問題やって思うんやったら親分の身内になればええやん。
俺かてローマのおっちゃんに拾われるまでは戦争地域の荒んだ村の片隅で荒んだ生活しとった天涯孤独のガキやったんやから。
それに比べたらアーティーなんか元の身元はめっちゃしっかりしとるで?」

褐色の大きな手がソッと頬を撫でていく。

「アーティーがどう思っとるかは知らんけど、親分、アーティーの事めっちゃ大事やし、好きやし、ずっとこの安全な場所で守られて暮らして欲しいし……幸せでいて欲しいねん。
アーティーがボロボロになっていくの見とるんは、自分の身ズタズタに切り裂かれるより100倍つらいわ。
ましてや死なれてもうたら親分、耐えられへん。気ぃ狂ってまうわ…
自分がいなくなってもうたら思うと……親分死ぬよりつらいんや…」

笑みを浮かべているのに泣いている時よりつらそうな顔。
今回もこの優しすぎる軍人にずいぶん心配をかけたらしい。




『少し…眠っててね?』

ここを出て何か自分にも出来る事を見つけて生きて行こうと決めたあの日…。
外に出て急に苦しくなって動けなくなった所をイヴァンに拾われた。

最後の記憶は車の中でイヴァンに言われたその言葉で途切れている。


そして…目が覚めた時にはベッドの上だった。
こうして最近、何かで意識を失ったり倒れた時には必ずそうであるように、目の前には泣きそうな顔で自分を見下ろすアントーニョ。

何故かはわからないが、連れ戻されたらしい。

体中のあちこちにつながれた管。
口元には酸素マスク。

見慣れたアントーニョに与えられている自室に運び込まれている様々な計器のついた機械…。

イヴァンと何かしらのやりとりがあったとしたら自分の正体はバレているに違いない。
これは…何かの拷問の準備なんだろうか…と、ほんの一瞬思ったが、自分のほうがひどく憔悴した様子で心配そうに

「アーティー…痛ない?辛ない?親分の事わかるか?」
と言うアントーニョの優しい声に、そうではないらしい…と判断した。

「アーティー、あかん…。これはあかんで?
自分ほんま病気なんやから、こんな無理しとったら死んでまう…。
お願いや…。もうこんな真似二度とせんといて。」

点滴がついてない方のアーサーの手を取って額に押し付けるアントーニョ。
手の震えからかなり心労をかけたであろうことが伺われる。

刺殺する以前に、心労でストレス死させるんじゃないだろうか…。

フェリシアーノのように誰の迷惑にもならないように…出来れば誰かの役にたって慎ましく生きようと思ったが、アントーニョには迷惑しかかけてない気がした。
きっとこのままでは迷惑をかけ続ける事になるだろう。

これ以上迷惑をかけないようにと思っても、出ていくことさえ失敗してこうして心労をかけているのだ。
どうやっても迷惑をかけるのに、死ぬ事も離れる事もまたひどく相手を傷つける。
本当に八方塞がりだ。

一体どうすればいいんだろう…。

ズキンズキンと胸が痛むと、アントーニョが慌てて立ち上がって何かボタンを押した。
バタン!とドアが開いてギルベルトが飛び込んでくる。

ああ…アントーニョが泣き叫んでる……。

その声を遠くに聞きながら、アーサーの意識は再び途切れた。




その後目を覚ました時に目に入ってきたのはいつもの光景ではなく、雑誌をめくっているフランシスの横顔。

「あ、気がついた?ちょっと待ってね~。このページだけ読ませて?」

アーサーの視線に気づいても飽くまでマイペースで、そのマイペースさに少しホッとする。

フランシスはひと通りページに目を通すと、そこに栞を挟んでパタンと雑誌を閉じた。

「お兄さんの部署って情報部だから、こういう一般の情報を仕入れるのもお仕事で、遊んでたわけじゃないのよ?一応。」

とウィンク一つ。

「ということで…たぶんトーニョは説明なんかしてないだろうから、先に何故アーサーがここに戻ってるのか状況説明するね?」

ああ、それだ。
まずどこまでバレているのか、どういう経過でここに戻っているのか、それが知りたい。

若干ホッとしてアーサーがうなづくと、フランシスは雑誌を脇のテーブルに置いてアーサーを振り返った。

「まずね、アーサーが外で倒れているから保護したってメールを受け取ったのはお兄さんなの。
ホワイトアースの病院でアーサーの手術をしたっていうイヴァン先生知ってるよね?
彼は自分が手術した患者さんの術後も気になるらしくて、ある程度ちゃんと回復するまではこっそり場所がわかるようにGPSを体内に埋め込んでるらしいの。
それでアーサーがいちゃいけない場所にいるって事がわかったらしいんだ。
それでね、それまでアーサーが滞在していた軍の方に連絡してきて、それを受け取ったのがたまたまお兄さんだったの。」

ホワイトアースの医者……イヴァンがそう言ったのか……。
フランシス自身は嘘は言ってないだろう。
ということは…少なくともアーサーの正体はいまだバレてはいないということか…。

そんなことを考えている間にもフランシスの話は続く。

「それでね、それなら治療にギルちゃんも必要だろうしと思ってギルちゃんに知らせて、丁度そのメール見てる時にトーニョが仕事から戻ってきたから3人でお迎えに行ったんだ。
で、イヴァン先生いわく、とりあえず埋め込んだモノは当然必要なくなったら取り出した方がいいって事なのね。
だからもう一度今度はその機械を取り出す手術が必要なんだけど、これはギルちゃんいわく、もう一度手術するにはアーサーの身体が今少し衰弱しすぎてるから、しばらく体力つけてからにしようって事になったの。」

なるほど…。

どこまで本当かはわからないが、開胸手術の時にイヴァンが余計な一手間を加えたと言われれば、やりそうだなと思う。
この心臓のあたりの不調はそのせいなのか…。

「…ようは…もう一度手術をするって事か?」

慎重に言葉を選んでそう聞いてみると、フランシスは

「うん、そういう事だね。」
と頷く。

自分のために手間をかける必要などないのに…また余分な手間をかけさせるのか…と思うと気が重い。

アーサーから漏れる小さなため息をどう取ったのか、フランシスは
「大丈夫。ギルちゃんは普段はああやって馬鹿みたいにしてても実は名医だから」
と、微笑んで告げる。

「…あのな…」
「うん?」
「必要…ないと思うんだ。」
「何が?」
「手術。俺のために手間をかける必要なんて全くない。」

アーサーの言葉にフランシスは少し目を丸くして、考えこむように少し首を傾けて、それから苦笑した。

「うん。アーサーにとってはそうなのかもしれないね。
でも俺達にとってはあるんだよ。」

アントーニョならここで泣き出しそうだが、フランシスはまるで世間話のように飄々とそう言った。

「まずね、アーサーの病気は10年前にギルちゃんの実のお兄ちゃんが亡くなったのと同じモノなのね。
で、当時当たり前だけど子どもだったギルちゃんはお兄ちゃんを助けられなかったって言うことをすごく引きずってるの。
でもって、フェリちゃんもそのお兄ちゃんと仲良かったから、二人にとって同じ病気の人間を助けるって事は過去の無念をふっきるっていう意味がある事なんだ。
過去は変えられないけど、自分達は変われたっていう証…っていう感じかな?」

ああ…だから二人共あんなに親切だったのか…と、アーサーも納得する。

「それからね、トーニョ。
俺はまあまあ普通の家で両親に囲まれて育ってるし、ギルちゃんはお兄ちゃんいたし、フェリちゃんはお爺ちゃんに育てられてるんだけど、あいつだけ物心ついた時には天涯孤独だったのね。
そのせいなのかなぁ…自分の身内っていうものに異様な執着があるんだよね。

愛情ってさ、ちょうど空腹に似てると思うんだ。
そこそこ満たされていると食べられる分だけ用意するんだけど、すごくお腹空いている時って、食べられない分までとにかくできる限りかき集めたくなるじゃない。
あいつにとっての愛情ってまさにそれで、愛情を与えてくれる相手も与える相手もないまま育って飢えてるからさ、とにかく全力を注いじゃうの。

今まで一目惚れした相手は動物だったからさ、当たり前に先立たれるわけなんだけど、その都度自分が取り残される事にものすごく落ち込むのね。
何度も何度もそれ繰り返して、いい加減先立たれるって事がトラウマになっちゃってるのにやめられない。
だから同じくらいの寿命の人間を好きになるって言うのは、あいつにとってはすごく意味のある…とても精神的に宜しい事なんだと思うよ。」

確かに…それが愛情を傾けるに価する相手ならそれは素晴らしい事だろうと思う…。
でも…

「あいつなら俺みたいな面倒なのじゃなくたっていくらでも相手はいるだろ?」

身元不確かな人間というのを別にしても、同性で厄介な病気持ちで家事のひとつもロクに出来ない上に美人でもない。

そう言うと、

「人間は条件で人を好きになるわけじゃないからさ。
まあアーサーは外見はかなり可愛い部類の子ではあるとは思うけどね、お兄さん」
と、付け足すと、フランシスはさらに苦笑した。

「まあ…そんな理由で周りの3人にとってアーサーが必要不可欠だとさ、何かあったら3人して大変な騒ぎだから…結果的にお兄さんも困るのよ。
ということで、アーサーがここで元気に暮らしてくれる事が俺達全員にとって大事ってことになるわけ」
と、最後にウィンク一つ。

どうしよう……。
とりあえず敵軍の人間だとバレたらこの人のよい面々を倍傷つける事になるのは目に見えている。

それくらいならいっそ傷が浅いうちにバラして追い出されるなり殺されるなりした方が被害が少ないんじゃないだろうか…。

あまり思いつめると先ほどの二の舞になりかねないので、なるべく深く考えないように気をつけながら、アーサーはカミングアウトをしようとフランシスにアントーニョを呼んでくれるように頼む。

そうしてなるべく色々考えるまいとアントーニョの方を見ないように、簡潔に

「俺は実はスパイなんだ…」
と、告げたら、返ってきたのが文頭の

「とりあえず籍いれよか」
という言葉だったのだ。

もうカミングアウトの言葉すら伝わらない。
どうすればいいんだ、と、アーサーは心底途方にくれた。



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