Scabiosa-私は全てを失った_6

中継地点前


「もうすぐ…着くんだな…」
アーサーはアントーニョが広げる地図を見てうつむいた。

一応子どもなりに地図は読めるらしい。
まあ…読めないとはぐれた時に困るわけだが…。

「そうやな~。まあ中継地点すぎれば、他の二国の奴らにも会う事になるやろから、ちょっと邪魔したって自由時間を増やして楽しんだってもええな」
ハハっと、そう言って笑うアントーニョに、アーサーは唇を噛み締める。

「どないしたん?」
一生懸命こらえようとして、それでもポツリポツリと乾いた地面に落ちる涙に気づくと、アントーニョは慌ててその場に膝をついて、アーサーの顔を下から覗き込んだ。
すると、珍しくアーサーの方からぎゅうっと抱きついてアントーニョの首に腕を回す。
そのまま小さくしゃくりをあげるアーサーの頭をアントーニョがそっと撫でると、アーサーはアントーニョの首にしがみついたまま、涙声で言った。

「…俺っ…ついてっちゃダメか?絶対にトーニョの邪魔しないからっ…役に立つからっ…。
兄上が言ってた…西の国は別に中央の権利なんか要らないんだって…だから…俺は勝たないでいいんだ…。
自分の荷物だって自分で持つしっ…遅れたらその場に置いてってくれていいからっ…」

「アーティ、自分何言うとるん?」
アントーニョは苦笑した。

「一緒にいくに決まっとるやん。
別々に行動してたら、アーティの事気になって、親分頂上目指すどころじゃないわ。
歩けへんようになったら、背負ってでも連れてくで?
そうやないと頂上なんて目指せへん。」

「…いいの…か?」
大きな目がさらに大きく見開かれた。
ついでに小さな口がぽか~んと開く。

「ええも何も…言うとるやん。アーティがおらへんかったら、親分が山登られへん。」
アントーニョが言うと、アーサーはさらにぎゅうっと抱きつく腕のちからを強くした。


自分と離れるのが寂しい…そんな事で泣きそうな顔をしていたのかと思うと、愛しさがさらに増す。

ああ、可愛えなぁ…連れて帰りたいなぁ…離したないなぁ…
首っ玉にしがみついたまましゃくりをあげるアーサーをそのまま抱え上げて、アントーニョは歩を進める。

この行事が終わって離ればなれになってしまったら、もう二度とこの子に会えないかもしれない…そんな事はすでに耐えられそうになかった。

もし自分が国を、国民の生活を背負っていなければ、イチかバチかこのままこの子を連れて逃げてしまうのだが、背負うものがあまりに大きすぎて割り切れない。

そんなアントーニョの迷いを察したかのように、アーサがポツリと呟いた。

「いつかさ…トーニョと一緒に別の国に生まれ変われたらいいな。」
もうすぐ来る別れは避けられない…そう理解した上での会話であることは敢えて触れず、アントーニョはその言葉にのってみる。

「そやな~。どこの国がええ?うちの国とか?」
「ん~…南は戦い多いから…。心配すんのやだな。」
「じゃ、西?」
「西には…何年たっても何百年たっても俺の居場所はない気がする…」
「じゃ、東か北?」
「北がいいかな…医療の国だし、医療技術身につければ万が一他国いく事になっても生きていけそうだし」
10歳の子どもにしてはあまりに堅実なその意見に、アントーニョは小さく吹き出した。

「じゃ、アーサーが食いっぱぐれんように、北にしよか~。」
「うん。いつか…生まれ変わったらな」
「ほな約束やで~」

そんな非現実的な約束のほうが、今こうして確かに側にいるのにこのままで居られる可能性よりも遥かに高い気がするのが悲しかった。

アーサーもそう思っていたらしい。
アントーニョの肩を涙が濡らした。





最後の夜


おそらく中継地点まであと5キロもないくらいだが、暗くなってきたのもあって、野宿をする。
ぱちぱちと焚き火の爆ぜる音を聞きながら、アントーニョは傍らで眠るアーサーの額にソッと手を当てた。

一応ここまではなんとか持ったようだ。
微熱くらいはありそうだが、あと数時間も歩けば薬が手に入る。
この子をなんとか死なせずにすんだ…その事に心底ホッとした。

出発からここまで、危惧されていたのとは裏腹に、驚くほどのどかな道のりだった。
自分達の妨害をするとしたらもう一組の国なのだが、1番妨害とかに燃えそうな西の国がこちら側だからだろうか…。

確かに戦闘が嫌いな東の国と、戦場と戦場以外のラインをきっちり引く北の国では、まあこういうところで襲うなどという事もしないのかもしれない。

そんな事を考えていると、ビクっとアーサーが飛び起きた。
初めて会った日のような、どこか怯えたような、警戒するような、敵をさぐる草食獣のような目であたりを見廻している。

「どないしたん?怖い夢でも見たんか?」
と伸ばしたアントーニョの手を、珍しくピシっとはねのけた。

「囲まれてる…戦闘準備をしろっ。早くっ!」
アーサーはアントーニョにそう言いながら、自身も荷物の中から杖を取り出す。

それで相手も気付かれている事に気づいたのだろうか…ヒュン!と魔法の矢が二人のギリギリをかすめていった。
威力が弱い代わりに効果範囲の広い魔法だ。

「な、どこの国だかわかるん?」
自分では全く気付かなかった敵に眠りながらでも気づいたアーサーは、おそらく魔力の感知に長けているのだろう。
それぞれの国には得意分野があるので、それである程度はわかるかと聞いてみたが、アーサーは
「いや…たぶん暗殺を請け負う傭兵団…だと思う。色々なタイプの魔術の気配がするから」
と、首を横に振った。

暗殺を請け負う傭兵団など、アントーニョは初めて知ったわけだが、それを知っているということは齢10歳ほどにしてアーサーは過去そういう輩に狙われた事があるのだろう…。

ああ、やっぱりこの子を自国に連れて帰って保護してやりたい…と、アントーニョは再度そう思った。

…が、

俺が守ってやる…そう言ったアーサーの言葉は何も子どもの戯言ではなかったらしい。
本当に子どもなのか?と思えるほど実に見事に魔法を操って敵を倒していく様は、たいしたものだと素直に感心した。

もちろん攻撃系に特化した魔力を持つアントーニョもそれ以上に倒してはいたが、こんな子どもの時分にここまでだったかというと自信がない。

それはアーサーがそれだけ戦うことを余儀なくされた環境に生きてきたということだ。

そんな事を考えながら倒していると、ふと後ろでアーサーが咳き込んだ。
それに一瞬気を取られた間に敵が範囲呪文を完成させる。

まずい!と思うが、一応高位の魔術師は戦闘中多少なりとも魔法障壁を張って戦うのが常なので、無傷とは行かないが、まあ一度攻撃を受けたくらいなら、行動ができなくなるほどの怪我を追うこともない。

そんな開き直りとともに、気にせず戦っていると光の矢が飛んでくる。
大怪我ではないにしろ、痛いのには変わりない。
この子にはなるべく怪我をさせたくない、と、アントーニョはアーサーをかばうように前に立った。
これで、全部は無理だが、ほとんどはアントーニョで止まるはずだ。
そう思って衝撃に備えていたアントーニョは何故か矢が全て自分の前で弾かれていくのに気づいて啞然とする。

しかし次の瞬間…後ろで矢を一本まともに食らってうずくまるアーサーに気づくと、アントーニョは悲鳴を上げた。

「1本だから…っ…平気。それよりっ…殲滅…」
言われてアントーニョはハッとする。
そして…怒りのまま残りを全てなぎ倒した。

「アーティっ、自分障壁はどないしたんっ!!」
幸いくらったのは腕で急所ではなかったが、傷自体は深い。

それでなくても小さな体の少ない血液が流れてしまったせいで、血の気を失っているアーサーを前にアントーニョは青くなりながら止血をした。

「ん…お前に…張った。結構強かっただろ?俺の障壁…。結界とか…相性いいから…」
「あほっ!!そんなすごい障壁なら自分に張っときっ!!」
「言っただろ…お前、いいやつだから…命にかえても守ってやる…って」

本当に…命にかえるつもりだったのかと思うと、苦しくて切なくて涙が止まらない。
そんな事をさせたかったわけじゃない。
こんな小さな体にこんな大怪我をさせたいなんて思うわけもない。

痛いだろうに、それを言うとアントーニョが気を使うと思ってアーサーは飽くまで笑みを崩さない。
だって守りたかったんだ…こんなに幼いのにそう言うけなげさに、アントーニョはもう勝負などどうでも良くなってきた。
この子を幸せにしてやりたい…それが叶えばもうあとはどうでもいい…。

最低限の応急処置はしたが、それでなくても体が弱っているところに、傷から熱が出るかもしれない。
中継地点に行けばきちんとした治療を受けさせてやれる。

アントーニョはアーサーを背負うと、暗闇の中、中継地点へと駈け出した。
いくら体力があるとはいえ、いくらアーサーが軽いとは言え、子ども一人背負って数キロの道を疾走はつらいが、遅くなればなるほどアーサーの痛みが長引くと思えば、どうということはなかった。

おそらく5キロくらいの道のりをひたすら走り続け、アントーニョは中継地点へとたどり着いたのだった。


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