元嫁と子犬の話_1

プロローグ


――国同士で本当の愛情なんてあるわけないだろう?見事に騙されたな。

スペイン商船を襲い続ける憎き海賊。
奴らは無頼とは言え、イングランド人だ。
だからスペインの国民も国王もイングランドを叩くべきと息巻いている。

相手、イングランドはスペインの小さな花嫁が体現する本当に小さな国だ。
そんな小さな国が大国であり覇権国家であるスペインに戦いを仕掛けられたら下手をすれば消滅してしまう…。

あの子が…消える…

そんな事は絶対にさせられないと、国民を抑えて宥め続けてとうとう抑えきれなくなった時、スペインはイングランドにこっそりと旅だった。

このままではイングランドが自国スペインに滅ぼされるから…と、なんとか海賊をもう少し抑える方法がないかを相談しに行ったスペインが目にしたものは、その海賊に勲章を授けている花嫁の姿。

そして冒頭の言葉…。

信じられなくて信じたくなくて、でも現実に目の前で行われている事に絶望した。

そこからは何を言い放ったのかどうやって帰ったのか覚えていない。
ただ心の中で自分の可愛い幼い花嫁は死んでしまったのだ…と思った。
あの子はこの世のどこを探しても、もういないのだ…と…。

そう思いこむ事で無理矢理あの子への思いを断ちきった。

きっとあの…狡猾で残忍で卑劣な国の化身に飲み込まれ消滅してしまったんや……
悲しい…辛い…あいつだけは許さへん……!!
戻った自室で失望を無理矢理押し込めるためにまとった怒りの目で窓の外に目をやると、そこには確かに愛妻の姿。
スペインに嫁いで来た時のまま、ふんわりとした真っ白い長衣にマリアベールを被っている。
内気で人慣れなくて…でもその夢見るように澄んだ大きな淡い緑の瞳はいつも愛情を求めるように揺れていた。
可愛い可愛いイングランド
愛しい小さな花嫁…

――エスパーニャっ…

まるで助けてとばかりにスペインの名を呼んで伸ばされる手。
その後方に光る大ぶりのカットラス。

――あかんっ!!!
守ってやらな!!と、もうそれまで考えていた事も全て吹っ飛んで、反射的に必死に伸ばし返したスペインの手は無情にも窓ガラスに阻まれて止まった。
その次の瞬間…花嫁に振りおろされたカットラス。
あがる血しぶき。
あの子の…自身の命よりも大切だったあの子の生命が飛び散るように宙を舞う。

そして……可愛い愛しいスペインの花嫁は血しぶきをあげてその場に崩れ…光となって消えていった。

頭が真っ白になった。
心の奥底で何かが壊れて粉々になった音がする。
その壊れたものの破片はスペインの体中を容赦なく傷つけ、目からはあの子の血と同じ色の涙がとめどもなくあふれ続けた。

殺すっ!…殺す、殺す、殺すっ!!!
スペインは怒りにまかせて窓ガラスをぶち破り、せめてかたきをといつのまにか手にしていたハルバードを振り上げた。

殺すっ…絶対に殺したるっ!!!
そう思って目の前を見ると、目に入ってきたのは……血まみれのカットラスを握るスペイン自身の姿……


――うああぁああーーー!!!!



頭を抱えて叫んだ瞬間、まるで滑り落ちるようにストンと戻ってきた意識。
思わず目を開けると目に入ったのはクリーム色の天井…。

…なんちゅう夢や……ほんまなんちゅう夢や……

バクバクと激しく脈打つ心臓。
全身にぐっしょりと嫌な汗をかいている。
潤んだ目をこぶしで乱暴にごしごし拭うと、スペインはホテルのベッドから起き上がった。

本当に…何故今更あんな夢を見たのか、スペイン自身にもよくわからなかった。
スペインが今のイギリス、当時はイングランドと呼ばれていた小国と結婚して破局したのは今から500年以上も前の事だ。

結婚していた頃は非常に仲が良かった。
イングランドは可愛らしかったし、スペインは人恋しさを滲ませながらも人慣れずなかなか甘えられない幼い花嫁を溺愛した。

…が、それが演技だったのを知ったのはその数十年後。

ショックなんて言葉では言い表せないほど衝撃的な出来事だった。
とにかく可愛がって可愛がって可愛がっていたから余計に…

だからあの直後ならイングランドを殺す夢くらいは見る事もあったかもしれないが、今では自分の花嫁だったイングランドは幻だったんだ、あれは別人だ…と割り切れるようにはなっている。

愛しさの反動のような憎しみももうない。
そこまでの興味はなくて、ただ、少しだけ苦手で近寄りたくない相手くらいにはなっていたはずだ。

何故今更あんな夢をみたのだろうか…と、考えてみても仕方のない事を考えてみて、すぐ絶対に出ない答えに諦めて首を横に振った。

おそらく今日の世界会議の会場がイギリスだから、何か変なスイッチが入ったのだろう。
バカバカしい。

最初の頃の胸が鷲掴みにされるような可愛さも、その後の腸が煮えくり返るような憎々しさもなくなり、イギリスも今では少し皮肉屋でとっつきにくい老大国になっているのだ。
そんなイギリスにはもう二度と良い方向にも悪い方向にもあんな風に心が動かされる事はないはずである。

スペインは苛々とした気分で乱暴に頭を掻きながら、着替えを用意してバスルームへ。
熱めの湯で嫌な夢を洗い流すようにシャワーを浴びたらややすっきりした。

それでも少し気まずくて、なるべく他に気がいかないようにと、いつもより多めの内職を用意する。
会議に参加するのに準備するのが内職と言うのは頂けないが、まあいつもの事だ。
どうせ踊るだけ踊って何も決まらないバカみたいな会議に苛々するなら、気を紛らわすついでに少しでも身になる事をしていた方が良い。

無謀な意見ばかりを出すアメリカにも、それに律儀に突っ込みをいれるイギリスにもうんざりだ。
視界に入れたくない。

スペインは小さく舌打ちをした。
わざわざ世界会議で嫌でも顔をあわせないわけにはいかない日にあんな夢なんか見ないでも…と。



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