捕獲作戦 - 決行_1

溺れるモノ


予定より早めに会議が終了し、同室になってしまったスペインと二人きりになる時間が多くなったことにイギリスは頭痛を覚える。

心の準備なんて当然できてない。

これはもう早々に荷物の確認だけして、スペインが部屋に戻る前に日本とイタリアの部屋に遊びに行ってしまうしかない…そう決意して急いで席を立ったが、その瞬間、ガシッと当のスペインに腕を取られて硬直する。

怒っているような苦痛を覚えているような真剣な眼差し。

まさか今自分が考えていたことが伝わってたわけでもあるまいし…と思いつつも、内心焦るイギリスだが、スペインは

「ちょっと急いで話したい案件があるねん。イタちゃんあとでイギリスの書類とか部屋に届けたって」
と、丁度自分とイギリスの間の席にいるイタリアにそう声をかけると、そのまま誰に口をはさむ余地も与えず、強引な…かなり強い力でイギリスを引っ張っていく。

こうしてしばらく…正確には自分達の部屋まで引きずられていったイギリスだったが、部屋に押し込まれ、パタンとドアが閉まった瞬間我に返った。

「い…いったい何なんだよっ?」
何かスペインを怒らせるような事をしたか?と思い返してみるが、そもそもさっきまでは会議中で言葉を全く交わしていない。
なのになんで怒ってるんだ?
まさか…と、ふと思い当たる。
自分が緊張していたのと同じ理由で、スペインは不快度をためていたのか?
仕事上での付き合いが増えてきて普通に接してくれているようには見えていたが、それは飽くまで仕事のため。
スペイン個人としてはまだ自分の事が嫌いで、プライベートに近い状態で3日間も同室になるのが嫌なのかもしれない…。

自分が会議の終わりが近づくに連れて緊張が高まっていたのと同じように、スペインもその時が近づくのに嫌悪を感じて、耐え切れ無くなっていたのかもしれない。

『仕事やないんやから我慢しとうないねん。俺もなるべく構わんようにするから自分もそうしてや。できれば俺か自分、どっちかが誰かのとこに行くようにして、極力一緒に過ごさんでええようにしようや。』

なるべくあからさまな感情を出さないように、それでもにじみ出る嫌悪の表情で口にするそんなスペインが頭の中で容易に想像できる。

ドアを閉めてようやく腕を放して一人部屋の奥へと向かうスペインの後ろ姿に顔を向けながら、しかしイギリスは視界に何も移さず、そのまま耳を塞いでドアを背にずるずると崩れ落ちた。


まるで水の中にいるように、周りから押し寄せる圧迫感と、それによる息苦しさ。
空気を求めて口をパクパクと開くが、空気がうまく取り込めない。

しかしこんな状態に成ることはたまにある。

覚えている限り最初は初めて実兄に矢を射掛けられた時だったか…。

物心ついた時にはボロをまとって森に転がっていた。
自分が“人間達とは違うもの”との自覚はとりあえずあったので、人間達が暮らす村を遠目にみながらも、一人ウサギを抱きしめつつ暮らしていたあの頃。
妖精たちが実兄の存在を教えてくれた。
自分はずっと一人だと思っていたから、一人じゃない、自分にも家族がいると知って嬉しくて会いに行ったのだ。
しかし返ってきたのは村で人間の家族同士が交わしていたような優しい微笑みでも温かい抱擁でもなく、大量の矢。

必死で逃げ帰って、当時の住処であった枯れ草を敷き詰めた洞穴の中に落ち着いた時、いきなりこの発作が襲ってきたのだった。
その時は死ぬかと思ったが、放っておけばやがて収まった。

その他は…

一応喧嘩しつつもお菓子や贈り物を持って海を渡って遊びに来ていた隣国が、ある日いきなり攻めてきた時…
可愛がっていた新大陸の弟が自分に銃を向けて離れていった時…
孤独な心を理解し、埋めてくれた優しい島国の親友と袂を分かった時など…

一人になって落ち着いた瞬間に、いつもこの発作に見舞われた。

孤独には慣れている…。
だが一度温かな手を差し出されてそれを失うと、どうもキャパシティを超えるらしい。

再び孤独でも大丈夫な自分に戻るために、温かな記憶を過去のモノにして封じ込める作業で起こる苦痛…イギリスはこれをそう理解していた。

スペインとの関係は近頃…特にお互いEUに身を置くようになった頃から急速に回復し、今では友人…とまでは行かないモノの、ある程度気の置けない知人くらいにはなっている気がしていた。

が、それは飽くまで仕事に関してのみで、その枠外では相変わらず嫌悪されているのだ…と、そのわかりきった事実を突きつけられるのは、ちゃんとわかっていたつもりだったが、思いの外ショックだったらしい。

ああ…でも大丈夫だ。

逆にこの発作が起こって収まった後には、その事実をちゃんと受け入れて身の程をわきまえた行動が取れるはずだ。

大丈夫…これであと二日間、きっとうまくやっていける…。

医者を呼ぶから…といったような声が遠くで聞こえた気がした。
それに対して、いつものことだから大丈夫、要らない、呼ばないでくれ…と答えた。

そこから少し記憶が途切れる。
次に気がついた時は布団の中だった。

どうやら発作は去ったらしく、妙な気怠さだけが身体を支配している。
このまま眠ってしまいたかったが、近くに人の気配がするので、思いとどまる。

おそらく同室者として仕方なく面倒をみてくれたのであろうスペインに、迷惑をかけた謝罪と、そしてもう放置してくれて構わない旨を伝えなければならない。

重い瞼をなんとか開けると、ホ~っとスペインがため息をつく声が聞こえた。

「…迷惑をかけた…。すまない。」
かすれる声でかろうじてそう言うと、

「別にええよ。それよりホンマに医者呼ばんでええん?
呼ばんでくれ言うし、何か事情があるのかと思うて呼ばへんかったんやけど…
そういうのやなかったら呼んでみてもらお?自分かなりひどい状態やったで?」
と、スペインはゆっくりとイギリスの髪をなでて言った。

温かい手の感触が心地いい…が、これ以上拘束するわけには行かないだろう。
名残惜しさを感じながらイギリスは軽く目を閉じる。

「物心ついてから…それこそ千年間でたまに起きてるけど、いつも少し休めば治ってるから放置してくれて問題ない。俺の事は気にしないで好きなところに行っててくれ。もしかしてもうすぐ食事だろ?」

ズキリ…と何故か胸の奥が痛む。
胸元を強く握り締める事によってその痛みを押し込めて、そう伝えた。
笑顔で言ったつもりだったのだが、ちゃんと笑えてはいなかったらしい。
スペインが少し辛そうに眉根を寄せて俯くと、小さくため息をついた。

「……いつもは…どうしとるん?」
しばらくの沈黙の後、スペインは唐突にそう尋ねてきた。

「いつも?」
「こういう状態になった時や。何か薬とか…楽になる方法とかないん?」

ああ、そういうことか…と、イギリスは納得した。
確かに同室者としては知っててどこかに行って戻ってきたら死んでたとか死にかけてたとかしてたら、そりゃあ気分も悪かろう。

「本当に…もう1000年もこの状態何回も経験してるんだ。その都度特に何もしなくても翌日にはピンピンしてるから、今回も明日になれば普通に回復してる。だから大丈夫なんだ。気にしないでくれ。」
「そんな事聞いてへんっ!」

何か失敗したらしい。
スペインが苛立っている…。

「フランスは?!こういう時どないしててん?」
なんだか嫌そうに聞いてくる。
面倒な奴だと思われているんだろうな…と、イギリスは悲しくなった。

「ああ…堪忍。泣かんといて。」
プライベートになると途端に緩くなる涙腺が今回も決壊してしまったらしい。
ポロポロと涙がこぼれ落ちるイギリスの目元を指でぬぐって、スペインは心底困ったような顔で眉をハの字に寄せた。

「病人相手に声荒げるなんて親分失格やな。ホンマ堪忍な。」

驚いた事にスペインはそう言うと汗で額に張り付いたイギリスの前髪をかき分け、その額にちゅっと子どもにするように軽く口付けを落とす。
それにびっくりしすぎて思わず涙が引っ込んだ

「単にな…こういう時フランスやったらどうしてやっとるんかなって知りたかってん。」

少し困ったような笑みを浮かべながらイギリスに向けてくるスペインの目は優しい。

ああ、そうだ、スペインは無類の子ども好きで…おそらく弱っているように見える自分は今のスペインの目には、その保護すべき子どもと同類のモノとして映っているのだろう、と、イギリスは思った。

子どもというものは、小さいモノ、弱いモノ、保護すべきモノの象徴的な存在で、親分を自称するくらいだ、スペインはおそらく頼られたり面倒をかけられることが好きなのだ。

頼られること、面倒をかけられることを嫌う相手に囲まれてきたイギリスにとって、それを嬉々として受け入れる存在は、はるか昔のローマ帝国以来だった。

「フランスは……」

少なくとも今のスペインにとっては自分は子どもに準ずる存在で、忌諱すべきモノではないらしい。
その事実に少し安心して、イギリスが口を開くと、

「うん、フランスは?」
と、スペインは優しい目で柔らかく先をうながした。

「…知らないと思う…。発作が出る時はいつも一人だから…」
「…そっか…」
頭をなでる手が心地よい。

「いつも一人で…ジッとしてる。そうしたら…次の日には…治ってる。」
ああ…眠い。
緊張が解けたせいか、頭をなでる手が温かいせいか、ひどく眠い。

「一人で…我慢してたん?」

スペインの声が遠い。

「これからはしんどなったら親分に言うんやで?約束や。ええな?」

遠い遠い声に、イギリスは半分眠りながら無意識にうなづいた。


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