天使な悪魔 第五章 _1

――なあ…フランがさ…ギルの大切な他人になれないか?

それは前回の騒動から半月ほどたった頃だった。

当日から1週間ほどはギルベルトは本当に子育て中の野生動物のように神経質になっていた。
なにしろアーサーの側から片時も離れようとしない。



普段はオーバーワーク気味でいつも休暇を取るように進言していた部下達が、なんとか仕事に来てもらえるように悪友達に懇願する程度には…。

もちろん悪友達の言う事だって聞きやしなくて結局はアーサーに頼みこんで、ようやく仕事に出てくれるようになったのである。
ただしその間は悪友達がアーサーをきちんと見ている事が条件で。

ということで、今は何かあれば速効連絡をくれるようにとくれぐれも言いおいて、悪友2人にアーサーを任せて会議中である。



「大切な他人…てなに?」
と、突然投げかけられた聞き慣れないその言葉にフランシスは不思議そうに首をかしげた。

さらりと揺れるはちみつ色の髪。
アントーニョもギルベルトもイケメンだが、麗しいという言葉を使うならフランシスが一番だと思う。

何故か生やしている顎髭が少し残念だがそれがなければ3人の中で一番優しげな甘い色気のある美しい顔をしている。

諜報部…というのもあって、人当たりも良くオシャレで、彼を心底嫌える人間と言うのは早々居ないのではないだろうか…。

そんなわけで、アーサーの目からみるとフランシスは大切な他人候補としては適任な気がしたのだ。



大切な他人……
それはアーサーが死にかけてギルベルトが会議を欠席した日…アントーニョが言った言葉である。

自分はかつて大切な身内と大切な他人のうち大切な身内を亡くしたが、大切な他人が残っていたから今こうしてまだ生きていられるのだ…
そしてギルベルトにとってその大切な他人と言うのはアーサーだから、アーサーは絶対に死んではいけない…と、そんな話で出た言葉だ。

だから当然アントーニョはアーサーの言葉の意味を正しく理解していて、理解しているからこそ大きくため息をついて肩を落とした。

「自分…まだそんなん言うとるん?
あんな、大切な相手なんてなろうと思うてなれるもんちゃうんやで?」

アントーニョのその言葉に、フランシスも心の底から頷いた。


アーサーの言う大切な他人…の意味は正確にはわからないが、大切な相手ならわかる。

かつて自分もアントーニョも故郷の村に住んでいた頃…アントーニョには自分よりもよほど大切だった相手がいた。

フランシスはアントーニョが失ったその子の代わりに大切な相手になれないかと全力で努力してあれから10年以上の時が過ぎたが、いまだにあの子の代わりにはなれやしないのである。




――ほんまフランがいっちゃんええわ~

遥か昔…まだフランシスもアントーニョも本当に少年だった頃のこと…

アントーニョは覇王の孫で明るくて強くて顔も良くて…村一番の人気者だった。
年頃の女の子達は当時は皆アントーニョに夢中で…
でもアントーニョ自身はいつもフランシスを優先してくれていた。


誰が誘ったって呼べばいつでも

――堪忍な~、うちの相方が呼んどるからまたな~

と、優先してくれたし、そんな人気者のアントーニョに特別扱いされているのが、プライドの高いフランシスにとってはすごく自慢だった。

今にして思えばアントーニョが優先してくれるほど綺麗な自分が好きだったのか、アントーニョが優先してくれるから綺麗な自分が好きだったのか…

あまり考えたくないが、後者だったのではないかと思うところではある。


だからフランシスはあの少年が嫌いだった。
唯一自分が後回しにされる相手…アントーニョの大切な相手…ロヴィーノ。

もちろん態度に出すほど愚かな子どもではなかったし、いつもにこやかに接してはいたものの、心の奥底では近づきたくないと思っていた。


だって自分の方が可愛い。
自分の方が愛想だっていいしなんだって器用にこなすのに……

それでも…フランシスがどれだけ可愛くて何でも出来たって、アントーニョは不器用で無愛想なその従兄弟を優先するのがわかっていた。

だから、嫌いだった。


たぶん…アーサーはあの子に似ているのだと思う。
不器用で人見知りで…そのくせどこか人恋しさを漂わせていて……

もちろんギルベルトの大切にしている幼馴染だからと言う事もあるだろう
だが、それより何よりあの子に似ているから…だからアントーニョはアーサーを大切にするのだとフランシスは思っていた。

そして…あの優しい日々を取り戻そうとしているのだろう。

ギルベルトがフランシスを特別な相手として好きになるかは別にして…でも万が一そうなればアントーニョはあの日々をこの子と取り戻せる……


フランシスは、はぁ…とため息をついた。

アーサーは悪くない…
何も知らないが故に無邪気で残酷な提案をしているだけだ……


(…お兄さん…随分と頑張ってみたんだけどな……)
と思いつつも、結局自分ではダメなのだろうとわかってしまう自分が嫌だと思う。

そう…自分はたまたまアントーニョの近くに生まれついて、
たまたまアントーニョが誰かとやりたいような事を出来る能力があって、
たまたまやりたい事が一緒だった幼馴染

……特別大事な誰かではなく、全てはたまたまだったのだろう…。


アントーニョが村の少女の憧れなら、男でありながら村の少年達の憧れだった自分。
そんな何でも卒なくこなす綺麗で可愛くて村で一番のお金持ちの村長の1人息子の自分。

でもフランシスが実は覇王の孫の体力や運動神経についていけるように部屋の中でこっそりと筋肉がついてしまう事に怯えながら筋トレや基礎体力作りをしていたなんて、アントーニョはきっと想像もしていないのだ…。

アントーニョが喜ぶから一緒に遊びに行く時に食べる焼き菓子の作り方だって覚えたし、すぐ無茶をするアントーニョのためにいつだって救急道具とソーイングセットは鞄に忍ばせる癖がついた。
アントーニョが行きたがる場所に行き、やりたがる遊びについてくる事ができない多くの他の男友達とは縁を切った。アントーニョが綺麗だと言うから髪だって肩より短くしたことはない。

それは絶対に死ぬまで口にする事はないし、フランシスのプライドにかけて隠し通して墓にまで持って行く秘密だ。

しかしフランシスの方は確かに“普通の子どもの能力”ではついていけない覇王の血を色濃く継いだ幼馴染と当たり前に並んで生きて行くために、ありとあらゆる努力を重ねて来たのである。



(…それでも……ダメなんだよね……あの子じゃなきゃ……)
小さな諦め。

本来なら全てに優れ、なんでも叶う恵まれた環境に生まれ育ったはずの村長の1人息子は、しかしその幼馴染ゆえに他人よりかなり諦めると言う事を知っていた。

人生はいつだってままならず、不平等なものなのである。


それでも…アントーニョがそれを望むならいっそのこと努力してみようか……

「うーん…ギルちゃんに特別に好かれるってこと?
ギルちゃんだとどういう感じが好みなのかなぁ…
もともとタイプがお兄さんとはかけ離れてる気がするんだけど…」

それはフランシス的にはかなり絶望的な諦めからの発言で、何故それでも口にしたかと言うとアントーニョがそれを望むだろうと思ったからなのだが、そのため息交じりのフランシスの呟きは、

「あかんっ!!!!」
と、即アントーニョ自身に遮られた。


…へ??
「フランは親分の大切な他人やねん。
せやからギルちゃんが無理やなくてもあかんねん、ごめんな」

椅子に座っているフランシスにぎゅうぅっと後ろから手を回して言うアントーニョにフランシスは目をぱちくりする。


え?え?なに?これどういう意味???
大切な他人というのはイコール恋人とかそういうモノなのかと思って話をしていたが、違うのか?
話の流れ的にはギルベルトにやるのは嫌だ…と言われている気もするのだが?
いやいや、でもお兄さん、トーニョに好きだとか言われた事無いし?
いつもロヴィーノ優先されてたし?
今はアーサー最優先じゃない?

色々がクルクルと脳内を回って、フランシスは結局最初に戻ってもう一度

「えっと…ごめんね。お兄さん話についていけてないかも。大切な他人…てなに?」
と聞いてみた。


誤解だとわかっていてもこれまで頑張ってきた自分にご褒美として少しだけ夢を見せてあげるという選択もなくはないと思う。
が、夢が覚めた時の落胆を考えるとそんな余裕も持てなくて、フランシスは自分に早々に現実を突きつけてしまう事にする。


そのフランシスの言葉に対してアントーニョはうっと言葉に詰まり、代わりに全く屈託のない様子でアーサーが話し始めた。

「えっとな、前にアントーニョが言ってたんだ。
自分には親しい身内と親しい他人がいて、親しい身内は亡くしちゃったんだけど親しい他人の方がちょっとだけ上で、その親しい他人が生きてるから自分も生きられるって……」

それに対して、
「ワーワーワー!!!!もうええからっ!その話はしまいやっ!!」
と、アントーニョは今度はアーサーの後ろに回り込んでその口を塞ぐ。


親しい身内と……親しい他人………
それはもしかして………

アントーニョの顔は赤いが自分もおそらく赤いだろうとフランシスは思う。

思わず緩む口元を片手で覆っていると、後方からいきなり殺気。

ひっ…と、思わず振り返ると、そこに立っているのは激おこ状態の東ライン軍屈指の天才軍師様…


うん…これ何か誤解されてるよね…と、フランシスがちらりと視線を向けた先では、アントーニョも同じ事を思っていたのだろう。
アーサーの口を塞いだ手をおそるおそる外してホールドアップした。


「…200字以内で簡潔に」
「はぁ?」

腹の底から何か押し殺したような声で言うギルベルトに、アントーニョはポカンと口を開けたまま呆ける。

「アルトを拘束していた理由を200字以内で簡潔に述べよっ!」
フランシスの後ろで驚くような大声で言うギルベルト。

滅多に感情的に怒らないギルベルトのその様子にまず驚いている悪友2人を尻目に、口が自由になったアーサーがこくん…と、小首をかしげて口を開いた。

「あの…な、アントーニョが以前俺に大切な相手がいるって話をしたんだけど、その相手がフランシスだって言う話になったからだと思う」
「へ?」
「うああああーーー!!!!」
今度は自分の方がポカンとするギルベルトと、再度アーサーの口を塞ぐアントーニョ。

「ちゃうねんっ!そういう意味とちゃうくてっ!!!」
「…違うのか?」
「…いや、ちゃうわけちゃうけどっ」

「あー、もうわけわかんね。
とりあえずアルトに何かしてたんじゃなけりゃあいい。
2人ともダンケ」

真っ赤になって慌てるアントーニョと少し照れくさそうに苦笑いするフランシス。
そんな悪友達の様子になんとなく何かを察したのだろう。
色々とバカバカしくなったという空気を滲ませてギルベルトはポリポリと頭を掻いてため息をついた。


「せやから、ちゃうって…」
と、なおもアントーニョが言い募りかけるのを、

「あーもう、トーニョ、ギルちゃんはお姫様と2人きりになりたいって。
退散しよ?」
と、フランシスが苦笑して止め、その腕を掴んでドアの方に押しやる。

そして
「じゃ、ギルちゃんもアーティもまたね~」
とヒラヒラ手を振って、まだ何か不満げなアントーニョを半ば無理矢理廊下へと連れ出した。





「と~り~あ~え~ず~…少しでも2人の時間作ってあげなくちゃでしょ?」

パタンとドアを閉めて完全に声が聞こえなくなると、フランシスはそれでも少し声を低くしてそう言いつつアントーニョを自分の部屋まで引きずって来て言った。


「…諦めたらそこで全部終わってまうで?
あの子にちゃんとわからせな…」

フランの部屋に来るのには全く異存はなかったようで、アントーニョはそれについては大人しく引きずられて、フランシスの部屋のリビングに落ち着いくと、少し眉を寄せて答える。

「うん。でも俺らに何か出来るわけじゃないし?」
「出来るわけやないって諦めたらあかんやん」
と、そのフランの言葉にも、アントーニョは不満げに頬を膨らませた。



一応あの時のアントーニョの言葉でアーサーが自傷に走る事はなくなった。
自分が傷つく事はギルベルトの心を著しく傷つけるのだ…という自覚は持ってくれたようだ。

だがそれでめでたしめでたしかというとそういうわけでもない。


アーサーが自分の身を多少なりとも気にするようになったのは飽くまでギルベルトが傷つくからであって、アーサー自身が大切な存在だと自覚したからではない。

だからアントーニョからしたら何故そうなる?と思うような斜め上の発想なのだが、自分自身に何かないようにではなく、自分に何かあってもギルベルトが平気になるように自分以外にギルベルトにとって大切な人間を作ろうと思ったらしい。


身元が不確かな自分はギルベルトにふさわしくない…その考えは変わらないのだ。
だからそんな方向に思考が向かうし、そんな思考を持っているから物理的に自傷に走らなくても精神的にはどんどん弱っていって発作もよく起こすし、体力もなくなっていく。

結果…いつまでたっても体力が戻らず手術が出来ない。
どんどんタイムリミットは近づいていく。

このままでは数年ほどで病んだ心臓は時を止めるだろう。
だからその前になんとかしなければならない…そうアントーニョは思うのだ。



「代わりは…おれへんて、なんでわからんのやろなぁ……」
はぁ~と大きく息を吐きだしながら肩を落とす。

「んーーでもさ、他人の気持ちなんて完全にわかるわけじゃないし?
お兄さんだって今日びっくりしたんだけど?
お前は大切な相手って言うのは過去にしか存在しないと思ってたから…」

と、少しさきほどの話を蒸し返してみると、アントーニョはピクッと固まって眉をひそめた。


「どういう意味なん?」
「うん。文字通りだよ。
お兄さんがお前の大切な相手にカウントされてると思ってなかった」

その言葉にアントーニョはぽかーんとフランシスに視線を向けたまま目を見開く。
心底驚いているようだ。


「え?なんでそうなるん?」
と、驚いて問い返される事にフランシスの方が驚きだ。


「だって…俺ら腐れ縁で悪友で…」
「そうやけど?」

「いや、だからさ、“あの子”みたいに守って頂いたりした事あったかしらん?なんて…」

少し冗談交じりにごまかしてみたわけなのだが、容赦なく断言された。
「確かにないわ」…と。

「でしょ?」
と、先ほどのやりとりで少し膨らんだ希望がみるみるしぼんでいくのを感じながらフランシスが諦めて微笑むと、アントーニョはうーん…と腕組みをして考え込んだ。


「確かに自分の事守ろうなんて思ったことないしこれからも思わへんけど…」
「ああ、わかってるから。もういいよ」

あまり楽しい話題ではない…とフランシスは切りあげかけたが、さすがKY、アントーニョは切り上げる気はないようで続ける。


「もしな、危ない場所でそこから抜け出せる馬か何かがおったとしたら、ロヴィ守るためにそれ使うと思うんや。
ロヴィをそれに乗せて逃がしとると思う」
「うん、もうわかってるって」

本当に…何が悲しくてそんな話を聞かなければならないんだか…と、さすがのフランシスも少しいらっとする…が、やっぱりアントーニョが空気を読まずに続けた言葉で、フランシスは思っても見ない事を知ることになった。


「ロヴィはロヴィだけでも守ったらなあかん子やったけど、自分はちゃうねん。
ロヴィを逃がしたあと、たぶん親分は自分と一緒にその場所から脱出するし、途中でな、例えば自分が足怪我でもしたら自分のこと背負って行くと思うし、逆に親分が怪我したら背負ってもらうと思う。
必要になったら助けるし助けてもらう相手やと思うとるし、見捨てる事もせえへんし見捨てられる事もないて思うとる。
助かる時は一緒に助かるし助からへん時は一緒に死ぬ相手や」


うわぁああああ………
フランシスは無言で真っ赤になった顔を両手で覆った。

(ちょっと…熱烈すぎじゃない?)
もう色々燻っていたものが一気に霧散する。


そして
「自分もそうちゃうん?」
ときょとんと当たり前に言われて、ああ、そうかも…とフランシスも思った。


いつでも当たり前にお守りしたりなんかしない。
でも一緒に生きて、
何もなければ横に並んで一緒に馬鹿やって、
何かあれば何を差し置いても絶対に優先的に助けて背負い、
そして一緒に死んで行くんだろう。


「うん、そうかも…。そうだよね、お互いお守りされるような人間じゃないよね」

「せやろ?」
「うん」


アントーニョの方は別にそんな事悩んでもいなかったのか、小さく吹きだすフランシスに不思議そうな視線を向ける。

ああ、自分は良く賢いと言われるが、本質的な事を見抜く目は自分よりもアントーニョの方が遥かに持っているのだ。
それは彼の祖父譲りで…だから彼らは戦上手なのだろう。

そしてそんな彼らは彼ら自身に圧倒的に足りないものも本能で知っているし、それを補ってくれる半身も本能で見つける。

そう、フランシスは誰より自分自身を知っているアントーニョが己にとって最も必要な人間と選んだ人間だったのだ…


そっか…そういう事…だよね……


「自分なんなん?急に機嫌良くなって…」
クスクス笑い出すフランシスにアントーニョがいぶかしげな視線を向けてくるが、教えてやるつもりはない。

なにしろ自分はこれで十数年は悩んできたのだ。
アントーニョだって少しは悩めば良い。




「なあ、フラン、もしな、ロミオとジュリエットみたいに好きな子ぉと一緒におったら死ぬしかないような立場になったらな…自分やったら離れ離れになっても相手が幸せになれるなら~みたいに諦めて離れそうやん?」

それは唐突な呟きだった。

ギルベルトが仕事を終えて戻ったためアーサーのお守りを終了。
フランシスの部屋のリビングで作り置きの焼き菓子と共にコーヒーを飲んでいる最中の事であった。


特に高級というわけではない、シンプルで頑丈なお気に入りの専用マグでコーヒーをすすっていたアントーニョが唐突に顔をあげて呟いた言葉がそれだ。

ロミオとジュリエット…そんな言葉をアントーニョの口から聞くなんてことは一生ないだろうと思っていたフランシスは目をぱちくりする。

「唐突だね」
「…でも、そうやろ?」
「うん、まあそうだね。お兄さん自分も相手も苦しんで死ぬなんて美しくない事するの嫌だし、それくらいなら遠くでひっそりと美しく相手の幸せ祈って暮らすよ」


きも……と言う言葉がアントーニョの口から漏れたのは幻聴だろうか?
ついさっき、お兄さんの事、大事な相手だって言ってなかったっけ?
…と一瞬思ったが、フランシスはすぐに考えるのをやめた。
アントーニョにそういう気づかいを求めてはいけない。

自分に対して甘く優しい言葉しか吐かなくなったら、それはアントーニョではない。
たぶんアントーニョの偽物だ。

「うん、まあお兄さんに関してはいいや。
で?いきなり何故そんな話を?」

もう苦笑いで流す事にして、フランシスは繊細にして美しいカップでコーヒーを口に運ぶ。
やっぱり飲食物はそれを入れる器も大事よねぇ…と思いながら…。


そんなあたりは正反対の感覚を持っている悪友で幼馴染で大切な他人であるらしい腐れ縁にチラリと視線を向ければ、アントーニョは珍しく考え込むように綺麗な形の眉を寄せている。

「あんな、親分やったらそういうの嫌やねん。
離れて相手が他の奴のモンになるくらいなら、自分の手ぇで殺したる」
「…うん、お前だったらそうするだろうね。
でもって、1人で死なせて死後の世界で誰かに取られるのも嫌だからって追いかけてくるタイプだよね、お前は」
「おん。さすがフラン。ようわかっとるやん」
「うん、そのあたりのお前の行動はつきあい長いしね…。
でも殺す時は先に言ってね?お兄さん死ぬ時は美しくって決めてるから…」
「そんなん…オシャレしたってナイフで喉かききったら一緒ちゃう?」
「こわっ!!ちょっとやめてよねっ!!お兄さん殺す時は断然苦しまないように薬にしてよっ!!」
「ん~~でもこう…薬とかって殺すって感覚が足りひんやん」
「いやぁーーー!!そんな感覚要らないでしょっ!!なんでそうなるのかなぁ」
「やって…一生に一度、自分も命かけた愛情表現やで?」

「…愛情表現…は良いけど苦しいのは本当に不可だからっ!
てか、なんで急にそんな話を始めちゃってるのよ、お前…」

「ん~~。
ギルちゃんやったら…あれやんなぁ…
相手には言わへんで全部自分が被って相手を生かして自分が死にそうやんな?」

「ちょ、お兄さんの質問ガン無視?!
まあ…確かにギルちゃんは相手のために自分だけ死ぬタイプだと言うのは同意だけど…」

「せやろ?せやからなぁ…それはええねん。好きで死ぬんやったら…」
「もしも~し、アントーニョさん?お兄さん全く話が見えないんだけど……」


単なる人物講評ではないらしい。

何か考え込むようにマグに顔をうずめるアントーニョに一応そうは言ってみるが、おそらく答えは返ってこないのだろうと、それは経験から察して諦めのため息をつくフランシス。

案の定アントーニョは

「すごく好きおうてた相手を生かすために自分が犠牲になるっちゅう生き方は親分にはできひんけど、別にしたい言うならええと思うんやわ」
と、やはりフランシスの疑問などこれっぽっちも気にすることなく繰り返した。


しかしそこは幼馴染。
決して疑問に対する直接的な答えではないものの、次の

「せやけどな、それが好きおうてたわけやなくて、好きなふりされてただけの相手やったら嫌やん?
ギルちゃん自身はええかもしれへんけど、付き合い長い仲間としてはなんとなく嫌やねん」

という言葉でフランシスはアントーニョの言葉の意味をを理解した。


「あー…アーサーの事?
お前ぜんぜん疑ってるように見えなかったけど、実は疑ってたの?」

下手をするとギルベルトよりもアーサーの方を重視しているように思っていたので正直非常に意外だった。
あの子に似ているから…という思いがフランシスの思考を若干偏らせていたのだろうか…

そんな事を思いながらも、フランシスはこれは完全に雑談ではないらしいと判断してカップを置くと、改めてきちんとアントーニョに向き直った。


しかししばしば慣れているフランシスでも思いもつかない方向に動き出すのがアントーニョである。

「んー、95%は疑ってへんよ?」
と微妙な返事が返ってくるのに、フランシスは眉間に手を当てて考え込んだ。


そしてしばらく考えて
「えっと…それは……」
と結論を出そうとすると、

「おん。5%はな、疑ってんねん」
と、あちらはフランシスの考えなどお見通しとばかりに答えようとした言葉を先に言ってしまうのでため息だ。

しかも次からも話がどんどん進んでいく。


「ほんでな~思うんやけど、あの子何もないにしては自分がスパイやないかって事にこだわりすぎやと思うんや。
かといってじゃあスパイやったとしたら疑われてもないのに騒ぎ立てるのは藪蛇やん?」
「うん…そうだよね…」

何が言いたいのか全くわからない。

が、そこで質問をしても絶対に答えが返っては来ないのはわかっているので、相槌を打つほかない。
たいていの人間はそこを失敗してイラついて終わるのだが、フランシスはさすがにそんな愚は犯さない。

「それで?」
と、ただ促すにとどめると、アントーニョは勝手に話を進める。

「あのな…親分前線出とるやん?
西の奴らと接触する事も当然多いさかいな、色々直接話を耳にしたりすることあるんや」

一見とてつもなく話が飛んでいる気がするがアントーニョの中ではおそらくちゃんとつながっているのだろう。

そのあたりは誰にわからなくても誰よりも一緒に過ごしてきたフランシスにはよくわかるし、あえてつっこみも相槌も入れずに黙って次の言葉を待つ。

するとアントーニョは当たり前にさらに先を続けた。

「そんなかでな聞いたんやけど、西は一般人にスパイ登録させとく言う制度があるらしいねん」
「ああ、草の事?」
「なんや、しっとるんや」

「ま、一応諜報部だしね。
で?アーサーがそれじゃないかって事か」

「スパイやとしたら…やね。
草登録しておくと微々たるもんやけど給料でるらしいし、それ目当てにまだなんもわからん生まれたての自分の子ぉを登録する親とかもおるらしいで?」

「なるほど…じゃあアーサーが草かどうかを調べてみると……」

草だったらどうするんだろう?とか思いつつも口にしたフランシスのその言葉を、アントーニョは

「ああ、草かどうかはどうでもええねん」
と、あっさり否定する。

「もう…じゃあなんでその話出したのよっ?!」
と、さすがにあまりのわけのわからなさにフランシスが脱力してみせると、アントーニョは当たり前のように言った。

「せやから言うたやん。ギルちゃんの事騙そうとしとらんかったら別にそんなんどうでもええねん」

「…ごめん…お兄さん話についていけてない。
お前けっきょく何が言いたいの?」

「せやからな~草みたいな形でスパイになるつもりもなくてならされてもうたケースもあるし、あの子がスパイっぽくないとしても、絶対にスパイっちゅう身分やないって言いきる事もできひんやん。
てことでな、重要なのは二つやねん。
一つはあの子が草でも草やなくてもギルちゃんに対して騙して危害加える気ぃがあるかどうか。
あったらギルちゃんから引き離さなあかんし、なければあの子は何があってもギルちゃんのために守ったらなあかん子ぉや。
で、ほんまに草やったとしてもなるつもりなくてなってもうて、ギルちゃんに危害加えたない思うとるなら、あの子が草やって事は隠しとおさなあかん」

「…理屈としてはわかったけど、どうやって?」

「そんなん簡単ちゃう?
あの子がその気になったらギルちゃんを殺せるような場面作って、殺させへんかったら今後誰かがなんか言うてきても、殺す気やったらあん時殺させとったやろって言えるやん。
ついでにな、あの子の方にも他のみんなにもギルちゃんにとってもあの子は絶対に必要で亡くしたらとんでもない事になるっちゅう事を思い知らせたったらええなって思うんや」

「……そんな都合の良い状況をどうやって作るのよ」

「んーー自分が協力してくれたら出来るんやけど…」

そこでじ~っと見つめられて、フランシスは後ずさった。

ああ、これ無茶言う前のトーニョだよね……
と、もう20数年もの間に培った経験がそう告げている気がする…。

しかし…こうなるともう蛇に睨まれたカエル状態だ。
逃げられる気がしない。


「ま、失敗したら一緒に中央にでも逃げて貯め込んだ金で畑でも買うて美味い野菜でも作ろうや」

と、にこにこと邪気のない顔で笑うからずるいと思う。
絶対に巻き込んで悪いなどとは思ってない。


「…逃げられたら…ね」
と、それでも自分は巻き込まれるのだろうとフランシスが大きく肩を落として息を吐きだすと、それを了承と受け取って、アントーニョは
「大丈夫やて。余裕で逃げ切ってみせるわ。
やって、俺と自分が揃うたら世界最強やん」
…などと、根拠のない自信満々で請け負った。





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