天使な悪魔 第四章 _1

アーサーが西ライン軍、東ライン軍、そして自分の現状を理解したその日、大騒ぎになった。

どうやら発作を起こしたらしい。
気がつけば体中に色々な管が付けられていて、顔面蒼白のギルベルトが顔を覗き込むようにしていた。




事情はフランシスが説明したらしく、
『今、東には西のスパイが多く潜入しているらしく、もし自分がそのスパイの1人だったら、ギルベルトに迷惑がかかるかもしれない』
とアーサーが思っていると言うところまでは正しく認識されていたが、かといって

「違うからなっ!なんだかややこしい事を考えてんのかもしれねえけど、お前がスパイなんてことはありえねえからっ!!」

というギルベルトの言葉に、
(いや、ありえるから。本当にそうだから…)
と返した日には色々が終わる。

自分だけじゃない。自分をここに連れて来たギルベルトどころか、下手をすればアントーニョも連座だ。
もしかしたら最大限フランシスまでは何かしらの影響を及ぼすかもしれない…。

今までアーサーの生命線だった草登録が、今まさにアーサーの首どころかアーサーに親切にしてくれただけの善意の第三者達の首を絞めようとしている。
そのことを知るのはアーサーだけであった。

もうどうしていいのかわからない。
しかも猶予があるのかないのか、危機が迫っているのかどうかすら、アーサーにはわからないのだ。
分からない以上、最悪の事態に備えて一刻も早く行動をしなければならない。

まず結論としてどうするのか…。
草としての自分を優先するならば、なんとか草のサイトにアクセスして指示を仰ぎ、情報を引き出すなり暗殺するなりすることになる。

情報を引き出す?
暗殺をする?
自分が?

どう考えても自分より賢くて強そうなギルベルト相手にどうやって?
と思わないでもないのだが、そのあたりはきっとプロである西ライン軍が考えてくれるのだろう。
しかしでは実際そうするか?と、その図を想像してみるとぎゅうっと胸のあたりが痛くなる。

だって本当に久々だったのだ。
自分の事を気にかけてくれて、優しく接してくれる相手なんて…。

自分が社会の中で必要とされていない人間だなんてことは、アーサー自身が一番良く知っている。

なのに……
『アルト、体調大丈夫か?少しでも気分悪かったら遠慮なく言えよ?』
『アルト、今日は商業区でアルトに会いたそうにしてるクヌートみつけたから、ほら、買って来ちまった』
『アルト。良かった…今日は気分良さそうだな。少し庭を散歩するか?』

…アルト、アルト…アルト……

まるでアーサーをとても大事な人間のように気遣うように愛おしむように包み込んでくる優しい声。

悪友達と話す時のやや乱暴なトーンとは全く違う、そっと壊れ物にでも接するような柔らかく静かな声音で、亡き母と同じ北部訛りでアーサーを呼ぶ。

大事に思われている、愛されているのでは?と錯覚してしまうくらいには終始優しくて、最初はほんのきまぐれの善意、その後は巻き込んでしまった贖罪の気持ちに過ぎないのだと言う事をしばしば忘れてしまうくらいには心地良い。

その、どことなく切なさを含んだ優しい時間…。
いつまでもそれを続けられることはないとわかっていても、それを相手から嫌悪されるという最悪な形で崩してしまう勇気はアーサーにはなかった。

だって、一度は1人ぼっちの寂しさを思い知ったあとに、誰かが側にいてくれる…そんな温かさを改めて知ってしまえば、また1人ぼっちになるのはあまりに怖い。

そう、辛いとか悲しいとかを通り越して怖いのだ。

目を閉じれば切れ長の紅い目がすぅっとそれまでの熱をなくし、冷やかな色を持ってこちらに向けられる様子がリアルに想像できる。
そうするとアーサーの心は凍りついて、痛みと寒さにミシミシと音をたててパリンと割れてしまいそうな気がするのだ。

それは耐えられないほど悲しくて辛くて寂しくて……
そのくらいなら、どうせずっと一緒にいられないなら、まだ嫌悪されるような要因をずっと隠したまま死んでしまった方が良いのではないだろうか…と、そんな方向にアーサーの思考を向かわせる。

同情でも良い…嫌悪されるよりはずっと……

弱い涙腺が決壊して潤んだ視界の向こうにフルーツの籠が見える。
それに添えられた綺麗な細工ものの鞘に収まったナイフ。

それはキラキラと光る希望の証に見える……


何か遠くでピーピー鳴り響く中、アーサーは息苦しさを押しやってなんとか半身を起こすと、それに手を伸ばした。

冷やりとした金属の鞘から出すと、銀色に光る刃が現れる。

アーサーは飽くまで有事以外は完全な一般人として生きる草で攻撃の訓練など受けた事がないので、どこをどうすれば致命傷になるのかなどわからない。

それを喉元にあててみるものの、恐ろしくてそれ以上何も出来ず、ただ刃先があたった一点だけ小さな小さな傷が出来、ほんのすこしだけ白い喉に赤い点を作った。

結局…自分は自分で自分の命の始末をつける勇気さえないのだ…そう思えば、今襲って来ている息苦しさに身を任せてしまうのが一番楽なのかもしれない…。

そう思ってナイフを握る手から少し力を抜きかけた瞬間…

「うあああぁあああーーーー!!!!」
と、いきなりの大きな声に驚いて再度力の入った手。
硬直する体。

そこに何かが飛びかかってきた。
心臓が止まるかと思うほど驚いて…いや、実際にもしかしたら少しくらいは止まったかもしれない。

気づけばベッドに抑えつけられるように寝かされていて、上から何かぽつりぽつりと降ってくる。

手から取りあげられるナイフ。
怯えた兎のように揺れる紅い目がアーサーを見下ろしている。

――…っ…なぜっ…こ、こんなっ……
震える唇から洩れるのは言葉にならない声。

何故そんな目でそんな顔で見られるのかがわからず、でもその悲しそうな顔にアーサーも悲しくなって

「…迷惑…かけるかも…だからっ………その前に……」
と、自分もポロポロ泣きながら言おうとしたが、途中で力尽きて、息苦しさの中で意識を手放した。





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