天使な悪魔 第一章 _1

――1本いかが?
と伸ばされたのは真っ赤な爪が目を引く白い手に握られたシガレットケース。

胸元の開いた…というより、たわわな胸を強調した赤いワンピース。
腰はきゅっとしまり、しかしヒップは女性らしい丸みを帯びている。
無造作に見えておそらくかなり計算して作られているであろうふわりと流れるセミロングの髪はつややかな黒。
肉感的な美女である。



場所はバス乗り場。
医療密接地域から山間部を抜けて住宅の多い市中に出る長距離バスを待つ人間が手持無沙汰にぽつりぽつりと並んでいる。

そんな中でひときわ目立つ男女。
差し出された相手は薄茶のサングラスをかけていてもそれとわかるほどに整った顔をした若い男だ。

顔だけではない。
女とは真逆にきっちりと着こんだグレーのシャツはスタンドカラーで肌の露出こそないが、その下には細身ながらもしっかりと筋肉の付いた肢体。
隙のない身のこなしから、ずいぶんと運動能力も高い事がわかる人間には見て取れる。

綺麗に伸びた背筋。
どこかストイックな雰囲気とあいまって、軍人のような雰囲気を持つその男は、No Thank Youと小さくその手を遮るようにして、俺様にはこれがあるから、と、内ポケットから子どもがよく口にしているような甘いミルクキャンディの包みを出して、口に放り込むと、
――悪いな。パパの香りよりママの味が恋しい年頃なんでね…
と、にやりと笑った。

拒否されただけでなく、馬鹿にされた…と、感じたのだろう。
女が柳眉を逆立てて何か言おうと口を開いた時、ちょうど砂煙をたててバスが到着する。

そうなれば暑い中で長い時間待っていた事もあってさっさとバスに乗り込み始める人の波に、女の罵声は飲み込まれた。




(…20点)
と、中央よりもやや後方の二人席の窓際に落ち着いたところで、男、ギルベルト・バイルシュミットは前方に座ったさきほどの女を薄茶のサングラスの下から再度値踏みしながら、心の中で呟いた。

これが普通の繁華街でのナンパならもう少し点数もあがるところだが、ここは病人かその見舞い客が集う医療地帯だ。

ギルベルト自身も訪ねて来た理由は幼い頃にこの近くに住んでいた頃の昔馴染みの老人の最後の見舞いである。

そう、ギルベルトが幼い頃にすでに老人で親代わりとも言えたその男には随分色々教わりもし世話にもなったので定期的に訪れてはいたが、さすがに寄る年波には勝てずと言ったところだろうか…つい先日、ギルベルトが見守る中で亡くなった。

身よりのなかったその男の最後を看取り、諸々の手続きを終え、自身が捻出し続けた老人の入院費用の残りの分も全て清算したあと、ギルベルトはもう訪れる事はないであろうその病院を後にしてバスを待っていたのである。

そんな事情もあいまって女遊びをする気分ではない…ということもあるが、さきほどの女そんな場所には大そう不似合いだった。

ざっとみたところ怪我はなさそうで、肌の張り、顔色、その他もろもろをチェックした限りでは、病人ではなさそうだ。

そもそもここは街中の小さな診療所などでは対応しにくいレベルの病人の集う場所である。
もし本人の病でこの場にいるとしたら、そんなレベルの病人が煙草を常飲するのはいかがなものかと思う。

では見舞客か…というと、まあ可能性がないとは言わないが、見舞いに似合わぬ露出の高い服までは良いモノの、きつすぎる香水は正直迷惑だ。

それでは…病人でも見舞客でもない可能性は?
それを考えてギルベルトは綺麗な形の眉をひそめた。
ああ…そいつの可能性も高いなぁ…と。

煙草を一本受け取るだけ受け取っておけばはっきりもしたのだろうか…。
それから毒の一つでも検出できたなら……




ギルベルトがバスの中に入ってもサングラスを外さないのには理由がある。

東ライン軍の紅い悪魔…そんな二つ名を持つギルベルトは、文字通り現在このあたりで争っている東西ライン軍のうち、東ライン軍の軍人だ。
味方からは天才軍師と称えられる一方で、敵からは悪魔と恐れられている。

多くの参謀達と一線を画す理由の一つに自身も一緒になってしばしば戦場を走り回る事と言う点が挙げられる、敵にも味方にも有名な男だ。
体力にも体術にもそんじょそこらの実働部隊には負けないと言うくらいの自信はある。
ゆえにその場の生の状況を見てリアルタイムで作戦をたて実行させられる事が彼の強みであり、おそれられるところだ。

そんな彼の身体的特徴としてまず挙げられるのが、本当に珍しい真っ赤な目。
味方には最高級のルビー、ピジョン・ブラッドに例えられ、敵にはまさに悪魔の目のようなと揶揄される。

プライベートな外出時には面倒なのでたいていはカラーコンタクトをいれているが、今回会うのは昔馴染みだったので、素のまま他者からはサングラスで隠す事にした。

それでも面が割れているあたりには割れているし、あるいはプライベートな間に消してしまおうなどと物騒な事を考える輩だって少なくはない。

この医療地帯は戦闘ご法度の中立地域ではあるのだが、それは飽くまで軍隊、軍人としてであって、無頼の輩を演じてしまえばそんな法律だって無視できる。


ということで…さきほどの女、
抱くなら肉感的でこなれた女の方が確かに後腐れがなさそうで良いが、そういう意味以外でなら清楚系が好みなギルベルトのタイプとしては20点。
この医療地域、病院に来る人間としての評価も20点。
そして…もし暗殺者だとしても…親しい人間が亡くなって女遊びがしたいなどと言う気がわかないギルベルトの前に、そういう用途以外でなら近づきたくないような格好で現れた挙句、下手な方法で毒殺を図ってかわされてキレるなどという短絡的な接触を図る時点で20点どころかマイナスだ。

…あ~あ、面倒くせえ……
ギルベルトはポケットからもう一つミルクキャンディを出して口に放り込むと、くしゃくしゃっと包み紙を丸めてポケットに突っ込んだ。

一応珍しく落ち込んでいるのだ。
もう狙ってくるなとは言わないが、質の悪い暗殺者とか質の悪いスパイとかなら勘弁してほしい。

小さくため息をつきながらそんな事を思って、ギルベルトはなにげなく窓の外に視線を向ける。

眩しい日差しに目を細めると、少し離れたあたりにそびえ立ついくつもの白い建物。
その全てが医療関係の施設だ。
目に入る全ての建物が真っ白。
そこにわずかばかりの草木の緑が花を添える。
ゆえにこのエリアはホワイトアースと呼ばれている。

その白い建物群から真っ直ぐ伸びたグレーのコンクリートの道を、何かがこちらに向かって走ってきた。

少年…そう、少年だ。

歳の頃は13,4歳くらいだろうか…いや、1人で医療地帯からの長距離バスに乗ろうとしているところを見ると、幼くは見えるがもう少し年上なのかもしれない。

透き通るような肌。
白いと言うより青白い。

これは確実に病人だな…と、女の時とは違い、ギルベルトは即そう判断した。

そんな風にギルベルトが観察しているうちに、バスのエンジンがかかる。
ああ、間に合わねえか…可哀想に…と、割合と待ち時間のあるバスだけにそんな同情の目を向けたギルベルトは、一瞬かたまり、そして即立ち上がった。

「ちょ、待ったっ!降りるっ!」
と、弾かれたように立ち上がると、閉まりかけた前のドアをガシっと抑え、隙間を縫うようにバスを降りた。

そんな風に後部座席から前方の運転手横のドアまで駆け抜ける際に、さきほどの女が見せたわずかな緊張。
もともと女を売りにしていて体術に優れたタイプの暗殺者ではなかったのだろう。
ギリギリで飛び降りた事もあって追うタイミングを逃したようで、慌てたように立ち上がったようだが、バスはそのまま女を乗せて走りだしていった。
それに気づいて、(あーやっぱり暗殺者とかそういう手合いか…)とちらりと思ったが、それももうどうでもいい。
ギルベルトの視線はまっすぐ道端にうずくまる少年の方へと向いていた。


「おいっ、お前大丈夫かっ?!」

地面に膝をつき、子どものものよりは若干大きく、しかしまだ大人になりきらないような手でぎゅっとシャツの胸元を掴んでいた少年は、急に降ってきた声にも反応なく浅い呼吸を繰り返している。

蒼い顔がどんどん蒼褪め、かすかに開いた唇からゼイゼイと独特な呼吸音が聞こえるのを確認すると、
「…喘息…か?悪い、ちょっと鞄確認すっぞ」
と、ギルは返事を待たず、少年が持っていた小さな鞄をなかば強引に奪って、中を確認した。

中に入っているのは東にも西にも属さない、中立地帯である中央地域の身分証明書と、その地帯をおさめる中央ライン政府の発行している既往歴と現在持っている病を明記した保険証。
それにはギルベルトの推測通りの喘息と…その他心臓病まで記述されており、喘息のみならとりあえず持っていれば吸入型の薬等で応急措置をと思ったが、複数な時点で軽率な対処は控えるべきと諦めた。

「ちょっと、病院に戻るからな」
鞄の中の物を全て戻して鞄をとじると、ギルベルトはそう声をかけて少年を抱き上げる。
保険証に明記されていた病院はこの地域の唯一ともいえる停留所から遠い、この地域ではあまり良い方とは言えない…その代わりに中央の保険証を持っていれば最低限の治療は受けられる場所だ。

本来はかかりつけの病院の方が良いのだろう。
だが諸々を考えてギルベルトが足を向けたのは、ついさっき出て来たばかりの二度と来る事はないであろうと思っていたあの病院だった。
停留所に近く、この地域でも1,2位を争うほどには医療設備が整っている。

少年を抱えたままドアを潜り抜け、総合受付で高額所得者しか持てない黒いカードをちらつかせながら、
「悪い。急病人だ。すぐ診てくれ」
と、声をかける。

医は仁術などと昔誰かが言ったらしいが、実際は…少なくともこの病院においては全ては金だ。
軍部でも両手の指の数に入るほどには重要人物として数えられるようになった頃、件の老人が体を壊したと知って即この地域に戻って取ったのも今と全く同じ行動だったが、その時同様に即係の者が飛び出していき、そして診療室に案内される。

比較的裕福な病人が多いこの病院の中でも本当に金に糸目をつけないとの意思表示を示すものはやはりそう多くはないのだ。

本来は見かけに寄らず質素なものを愛し生真面目なところがあるギルベルトとしてはもちろんこういうやり方は非常に嫌うところで、カードを初っ端からちらつかせて特別待遇を求めたのは後にも先にも老人の病の時とこの時の二回のみだ。


「これはこれはバイルシュミット様…今回はいかがなされました」
と、擦り寄ってくる顔見知りの職員の男。

少年はすでに医師に任せて処置中で、ギルベルトは特別な診療室にのみ備え付けられている付き添いが待つための専用の続き部屋のソファで、出されたコーヒーに手もつけず開け放たれたままの診療室の方にジッと視線を向けていたが、男の声にカードを差し出した。

「また世話になる。今まで別の病院で治療受けてたんだが、こっちに転院させてくれ。
転院手続きやカルテの引き継ぎなんかは全て頼む。
費用は全部これで出しておいてくれて良い。
ああ、もちろんここの入院手続きもよろしくな」

「かしこまりましたっ。すぐに手配させます」

男は揉み手をせんばかりにして聞いていたがギルベルトの言葉に目を輝かせ、まるで賞状でも受け取るように恭しくカードを受け取るとスキップせんばかりの様子で部屋を出て行った。

諸々の手続き…入院費…特別室の費用に、実際の医療費。喘息の方はたかだかしれているが、心臓の方はこれから手術となればまあ普通の人間の生涯年収の倍くらいの金は軽く飛ぶだろうか…。

一瞬脳内で軽くソロバンをはじいてみて、しかしその金額の莫大さからすると非常にあり得ないほど軽い感じで(…ま、いっか)と納得する。

とりあえず年間で一般人の生涯年収くらいは稼いでいるし浪費癖も一切ないため生活に使う金は一般人と変わらず、今までの老人の医療関係もその3倍くらい。
その他は使うあてもなく口座に放り込んだままなので金はある。
まずありえないが何かとてつもない理由でその額で足りないほど天文学的な額だったとしても、弟ルッツに言えば用意はしてもらえる。
まあそれは最終手段だが…。

ということで、金の事は気にしない事にして、ギルベルトはその他の状況把握に思考を向けた。



最初に言った通りギルベルトは軍人だ。
東ライン軍総帥の愛人の子ども、いわゆる庶子である。
幼少時は跡取りのいない父親の元で育ったが、ギルベルトが5歳の時に正妻に男子が生まれ、母親の故郷である中立地帯、中央ライン地域へと返された。

そこで過ごしたのは4年。
母親はすでに他界していたので母の弟、つまり叔父に引き取られたが、叔父は傭兵を生業としており、子育てに著しく不向きだった。
それでも最初の半年間は、最低限の家事と護身術をギルベルトに叩きこんでくれたが、その後近所の老人にギルベルトの世話を頼んで戦地へと戻っていった。
その老人がずっとギルベルトが入院中の金銭的費用の面倒を見ていた老人である。

期間にして3年半。
老人には随分と可愛がってもらったように思う。
実父の元にいた5歳までは総帥の跡継ぎとして英才教育をされていたため、子どものように可愛がってもらった思い出の全てはその期間に凝縮している。

その後、ギルベルトが9歳の時に正妻が他界。
4歳の弟が遺されたのだが、どうやらつけたベビーシッターに暗殺されかけたらしい。
そこでギルベルトは急遽呼び戻された。
弟の面倒と教育と護衛係、そして何より盾となるために。

庶子とはいえ総帥の血を引くギルベルトがいれば、暗殺者の視線も分散する。
ようはそんな綺麗とは言えない大人の事情だったのだが、それを汚いと憤るよりは自分の地位を作る良い機会と考える程度には、ギルベルトは大人にならざるを得なかった子どもであった。

だから弟の教育や躾には心血を注いだし、自分を磨く努力も怠らず学べるものはどん欲なまでに学んできた。

兵法や武術はもちろん、地理や音楽、簡単な医術に至るまで。
ストイックなまでにとにかく学んで学んで、弟ルッツがある程度成長して自分の身を自分で守り様々な判断を自分で出来るようになるとある程度腹心に任せ、自分は実地を知るため戦場を走り回りさえもした。

現場を知り、上も知る軍師。
それがギルベルトの戦略の幅を広げ、その出自を超えて敵味方双方の間で名をとどろかせる事になった。

が、そうやって名が知られれば当然危険も増える。
基地内ではさすがに前総帥の実子と言う出自もあり、また、前総帥の跡を継いで若き総帥となった弟を育て上げ、彼が誰よりも信頼している実兄という実績もあいまって表だって対抗心を抱くような者はいなかったが、一歩基地の外に出れば普通に命を狙われる。
まあ自国側の領土内や中立地帯である中央地域では、せいぜい無頼の輩のふりをして絡んでくるものがいる程度で、実動部隊とやりあっても遅れを取る事はない程度に鍛え上げているギルベルトは軽くいなせるので問題はないのだが…。

そう、自分自身に関しては…だ。

特定の恋人などは作ろうと思った事はないし、家族と言えるのは現総帥としてSPに囲まれているのでそんな心配はした事がないのだが、軍人以外の人間が自分の側にいると危険だと言う自覚はある。

だから老人の見舞いに来る時も極力目立たぬよう、軍用はもちろんのこと自家用車すら避けて一番近い街までは資材を運ぶトラックなどに同乗し、その後は公共の交通機関を使うように心がけて来た。

そのくらいなのだから、今回もおせっかいに手を差し伸べるのは良いがそのあたりは気をつけねばと思う。

病院側はそのあたりを心得ているので金払いの良い客でいる限りは周りに漏らす事はないとして、少年本人にも身分は明かさぬようにしなければならない。
明かせば隠しごとに不慣れな一般人には危険な秘密を抱えさせる事になる。

それでも全く姿を見せない相手に養われていると思えば気味が悪いだろうから、たまには見舞いも必要だろう。
まあそのあたりは老人の時と同様に極力目立たぬようにを心がける必要がある。

つらつらとそんな事を考えているうちに、診療を終えた医師が説明のために入ってきた。
後方にはおそらくかかる医療費の説明のためだろう、会計係も同伴している。

「率直に申し上げると、大きな手術が必要で、その手術自体は体力があるうちならまあ大変ではあるものの成功はするでしょう。
しかし手術が成功したとしてもその後2年間の生存率は50%。それを越えたとしても節度のある生活を続ける必要のある患者です。
手術をするなら体力がまだ残っている早いうちが良いかと思いますが…手術をなさいますか?」

まあ、金はかかるが金をかけても無駄になるかもしれないと言う事でのお伺いなのだろう。

医師の説明後、ソロリと横から会計が
「参考までに…手術をなさった場合、その後の医療費や入院費などを含めて、このくらいの額にはなりますが…」
と、明細書をみせてくる。

ついさっき運びこんだと言うのになんとも手際の良い事だ…と、半分感心半分呆れてギルベルトはそれを確認した。
まあ、予想の範囲内の額ではある。

「手術しねえと確実に助からねえんだろ?じゃあやらないって選択はねえ。
助けるつもりがないなら、わざわざここに運びこまなくても、元のかかりつけの病院に運んでるしな。
ってわけで、やってくれ。」

ギルベルトがそう言うと、会計は足取り軽く部屋を出て行く。
ああ、これでまたこの病院通いも続く事になるな…と、思いつつ、ギルベルトは今後の対応や注意して欲しい旨を伝えるため、担当の医師や看護婦を集めてもらうように依頼した。

さきほどまでの全てが終わった静かな時が消え、再び色々が忙しく動きだす。
その中で、ひどく大きく空いていた胸の穴に色々が詰め込まれて、ギルベルトが感じていた物悲しさはその忙しさに薄れて行った。



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