ギルベルトの猫


――俺様、猫飼うわ
悪友2人にそう宣言したのは退路を断つためだ。

つい先日、弟のルートが兄弟2人で住んでいたマンションを出て行った。

別に仲たがいをしたとかではない。
ただ、子役からそのまま役者の道に進んだ自分と違って普通に大学を出てサラリーマンの道を進んだ弟には最近恋人が出来たらしく、常にカメラを向けられている兄がいるということは、兄にも恋人にもよろしくないとの判断らしい。



確かに下手に人気俳優であるギルベルトの部屋に女性が出入りしていたら、ギルベルトの恋人と間違われかねない。
そういう意味では賢明な選択だ。

母親を早くに亡くし、忙しい父にかわって親代わりのように面倒を見て来た弟だったが、ギルベルトは弟を自立できるように育てたつもりではあるので、兄のマンションを出て1人暮らしをしたいと言われた時には、巣立ちの時が来たのかと感慨深く思いつつも、気持ち良く送りだした。

互いに依存はしていない。
育てた子どもというものはいつか旅立つものだ…と、いつかくるそんな日は当然予測もしていたし、喜ばしいことだ。

……と、思っていたはずだったのだが……

朝起きると誰もいない。
自分のためだけに作って1人で食べる朝食の味気なさ。
そして…それ以上に堪えるのが夜、家に帰ってもシン…と静まり返っている事である。

悪友達にはしばしば「1人楽しすぎる男」と揶揄されるくらいには、誰かと一緒でないと何もできないというところがなく、他人を特に必要としない人間だと思っていたが、それは自宅に弟がいる、それが前提だったらしい。

だから本当に1人きりになると、本当にメンタル的に辛くなった。
あまつさえ…毎晩のようにまだギルベルトの手を必要としていた幼い頃の弟の面倒を見ている夢を見る始末だ。

これは…非常にまずいのではないだろうか…と、滅入っているわりには非常に冷静に自己分析をした結果、ギルベルトはペットを飼う事にした。

幸いマンションはペット可なので、飼う事自体は問題はない。
動物は全般的に好きな方だ。
できればコミュニケーションが取りやすいものがいい。
なので金魚とかではなく、まあ無難に犬か猫。
さらに仕事柄、忙しい時期は帰宅出来ない日もあるので、犬は毎日散歩させてやれないなら可哀想だ。
ということで飼うのは猫。

家を出てしまった弟の代わりに猫を飼う…これはどうなのだろうと思わないでもない。
でも物理的に自分に支障が出ていると思えば多少の事には目を瞑るべきだ。
しかしともすればこの判断が正しいのか迷う。
だから悪友達に宣言する事で退路をたってみたわけだ。


こうしてギルベルトはオフを利用して自分が同居するのにぴったりの相棒に出会うために自らの足でペットショップを回る事にした。

愛想の良い子はいる。
どの子も可愛い。
…が、これだっ!と思うほどの出会いがない。

飼うからには責任を持って一生面倒を見る事になるので、ギルベルトも真剣だ。
朝、その手の店が開く時間帯に街に着くように家を出て、いくつもの店を歩いて回ったが、結局見つけられないまま、すでに街には街灯がつき、空には月が浮かんでいる。

――仕方ねえ…今日は飯でも食って帰るか…
ギルベルトはため息をついてそう思った。

以前なら弟のルートとの時間を少しでも持つために自炊をするための食材を買って帰ったところだが、自分1人のためと思うとキッチンに立つのも面倒に思う。

そういうわけで、適当な店に入るか…と、今しがた通りすぎた食べ物屋が多く入った雑居ビルに戻ろうと足を止めたところで軽い衝撃があって、ギルベルトは慌てて後ろを振り返った。

コテン!とどうやら急に止まったギルベルトとぶつかって弾き飛ばされたらしい華奢な少年。

「わ、悪いな。大丈夫か?」
と、手を差し出すと、少年は真っ赤な顔でふるふると首を横に振った。
そして大切そうに胸の前に抱え込んでいたスケッチブックを持っていた片手をついて自分で立ち上がると、うつむいたまま、本当に小さな小さな声で
「……ごめんなさい……」
と言う。

「いや、今のはどう考えても急に止まった俺様が悪い。
本当にごめんな?」
と、ギルベルトは片手をクシャっと頭にやった。

すると少年はますます赤くなる。
そしてさらに小さな小さな声で…――そう…じゃなくて……と、言いつつ、少し視線を上に向けた。

…っ!!

息を飲むほど綺麗な目をしている。
大きくて丸くて少し吊り目がち。
澄んだ瞳は黄色みを帯びた綺麗なグリーンで、それを縁取る長い金色のまつげが瞬きのたびそのグリーンを彩る様は、まるで春の木漏れ日の中揺れる新緑のようだ。

…子猫…みてえだな
と、ギルベルトは一瞬そんな事を考えて、子猫だったら拾って帰るのに…と続けて思った自分の考えのバカバカしさに脳内で自嘲する。

人間の子どもが子猫だったら…そんな馬鹿げた事を考えるほどには、精神的に参っていると言う事か…

ギルベルトがそんな事を考えている間、少年は何度か口を開いて閉じて、そして一度ぎゅっと目をつぶったかと思うと、今までよりはやや高いトーンで言った。

――あ、あのっ!ファンですっ!!!

「は?」
と言ったのは一瞬意味がわからなかったからだ。

しかしそれを拒絶と取ったのだろう。
少年は大きな目からぽろぽろと涙をこぼしながら、また俯いた。

「ごめんなさい…サイン欲しくて…ずっとあとつけてて……」
という言葉でギルベルトはようやく理解した。

少年は俳優ギルベルト・バイルシュミットのファンで、ギルベルトの形ばかりの変装を見破って、サインをもらうべくあとを追っていたのだらしい。

「あー、そういうことか。
悪い、一瞬意味分かんなかったんだ。
サイン?いいぜ?」
と、そこでギルベルトはおずおずと少年が差し出したスケッチブックを受け取った。

「…ごめんなさい……これしかなくて…。
でもっでも大切にするのでっ!!」
と必死な様子で言うのが健気で可愛いと思う。

「上等、上等。
せっかくスケッチブックだからな~ついでに小鳥さんも描いてやるぜ~」
と、ギルベルトは自前のペンでさらさらとサインをした横に小鳥さんの絵を添える。

「で?お前さんの名前は?」
と、それが終わって聞くと、少年は涙でいっぱいの目でギルベルトを見あげると、
「…アーサー……」
と言ってかすかに笑った。

まるで雲の合間からかすかに陽の光が差し込んだように…
あるいは雨に打たれて萎れていた蕾がそぉ~っと花開くように……

…こいつ…可愛いなぁ……
ギルベルトは一瞬その笑みに見惚れたが、少年が不思議そうにコテンと小首をかしげたところで我にかえって

「…アルトゥールへ……で、いいな」
と、アーサーを自国読みのアルトゥールとして、サインに添える。

そして
「ほい、これでいいか?」
とそれを少年の手に渡してやると、ぱあぁ~っと笑みが広がった。

「ありがとう…ございます」
と、そこでぺこりとお辞儀をして礼儀正しくお礼を言って去ろうとする少年の腕を、ギルベルトは気づけばしっかりつかんでいた。

「…?あ…あの?」
「あ、いや、悪い」
と、パッとすぐ放したものの、自分のとった行動はこのままだと本当に怪しい。
ギルベルトは脳内で慌てて理由を考える。

「あー……」
と、空を仰いで、そして目に入った夜空にふと思いついた。

「もう遅いから…危ねえから送ってく」

いやいや…これも十分怪しくね?
俺様、まるで誘拐犯みてえじゃん…
と、すぐ思うわけなのだが、アーサーは一応ギルベルトのファンだけあって、好意的に取ってくれたらしい。

「ギルベルトさん…TVで見る通りの人なんですね。
ぶっきらぼうに見えるけど真面目で優しくて……」

キラキラした目で見られて、芸能生活イコールほぼ年齢くらいでそんな視線も慣れているはずなのに、何故か照れる。

「いや、そうでもねえけど……」
「でもレディや子どもじゃないので大丈夫です。ありがとうございます」
「ん?いや、確かに自分では子どもじゃねえって思う年齢かもしれねえが、ミドルティーンて大人から見たら十分子どもだからな?
補導もされれば、下手すりゃ誘拐されることだって…」
「18…なので」
「…へ?」
「…よく中学生とかに間違われるんですけど、俺18歳です」
「えええーーー?!!!!」

お忍びである事も脳裏から吹っ飛んだ。
まあ幸い人でごった返す中ではその叫びもさして注目を浴びる事はなかったのだが……

「マジでっ?!」
「はい。1人暮らししてますし…」
「………」
「…家出…とかじゃないですよ?
中学の時に家族全員事故で亡くなって、卒業までは施設にいて、そこからはアパートで1人暮らししながら去年高校卒業しました」

自宅に帰れば卒業証書ありますけど……と、少し困ったように言う少年は、どう見てもミドルティーン。
正直12,3歳かと思っていた。

「んーーーでも1人で歩いてると補導されたりしねえ?」
と聞くと、少年はごそごそと財布をさぐって、そのために持ち歩いてます、と、保険証を見せてくれた。

――まあ…写真付きとかじゃないから、たまに信じてもらえない事もありますけど…
と付け加えながら…。

そうだろうな、と、ギルベルトは思わず頷いた。



しかしここまで話をすると、なんだかそのまま分かれるのも惜しい気がする。
というか、また会いたい…と思っている自分がいる。
いや、むしろここで分かれたくない。

「やっぱ送ってくわ。
実年齢がどうでも周りから子どもに見えるようだと色々危なっかしい気がして気になるからっ」
と、再度腕を掴むと、少年は少し困った顔をする。

そりゃあそうだ。
俺様怪しいよな、自分でもそう思うわ。
と思いつつ、前言撤回する気にはどうしてもなれない。

しかし少年は別に怪しんでいるわけではないらしい。

「…アパート…すごくボロいし…。
ギルベルトさんみたいな人に来てもらえるようなとこじゃないので…」
と、少し悲しげな複雑な表情に、怪しまれているとかでないのなら、と、距離感を大切にしているギルベルトには珍しく
「ごめんな。俺様関わっちまったらどうしても気になって。
本当に嫌ならタクシー代出すからせめて車で帰ってくれ。
嫌じゃないなら送らせて欲しいけど…」
と、やや強引に進めると、少年は、それなら…と、自宅まで送る事を了承してくれた。



いったん車を停めてある駐車場に戻って少年を助手席に乗せ、走りだす事30分。
下町の…おそらく駅からだいぶ歩くのであろう古びたアパート。

近くのコインパーキングに車を停め、アパートの外側にある錆びた階段をあがってすぐ。

「狭いけど…どうぞ」
と促されるまま入った部屋は本当に狭かった。
6畳もない部屋が1部屋しかないワンルーム。
部屋の隅に畳んである布団。
小さなローテーブル。
奇妙な事にはそのテーブルにはこの部屋に不似合いな綺麗なテーブルクロスがかかっている。
それだけではない。
壁一面に刺繍やパッチワークのタペストリ。
そして、やはり部屋の隅、布団の横には古い…しかし上質の針箱。

少年が出してくれたお茶はティーバッグの紅茶だったが、何故かカップはおそらくマイセンだ。
ボロイ家なのにところどころに妙な物がある。

「もしかして…裁縫とか仕事にしてんのか?」
と聞いてみると、少年はいや?と首を横に振った。

「実家いた頃の趣味。
家族が死んで針箱と少しの糸と布、あとはこのカップだけは持ち出せたから…。
それで作れるだけは作った」

「あー…なるほど」
ギルベルトはなんとなくそれで察した。

おそらく中学までは裕福な家庭で育って、親が事故死して判断出来る大人がいないのを良い事に全部誰かに持って行かれたとかなのだろう。

施設に入れられたと言う事は親戚などが干渉してくる事もない。
あとは……

「生活は?仕事とかしてんのか?」
と、問えば、
「バイトのかけもち?
コンビニとかファミレスとか…」
と、返ってくる。


よっしゃっ!!!
と、心の中でガッツポーズをする自分は随分と性格が悪いのではないだろうか…と思わないでもないのだが、そんな事も瑣末な事に思えるほどにはギルベルトは切迫していたのだ。

こんなチャンスは二度とない。
というか、これは日々真面目に信心深く生きてきた自分に神様が恵んでくれた幸運なのではないだろうか…。


「あの…な、すげえ突然なんだけど……」
切り出す事になんの躊躇も戸惑いもなかった。

今ギルベルトは弟が出て行って1人の家に慣れないでいる。
家に戻ったら出迎えてくれる相手が欲しい。
だからペット…猫でも飼おうかと今日一日ペットショップめぐりをしていたのだ。
でもどうせなら人間のほうが良い。
お帰りと言って欲しい。
ただ家にいてくれればいい。
生活全般面倒は見るし、欲しいモノがあれば用意する。
なんなら金は出すからネットショッピングとかでなら何でも好きな物を注文してくれて構わない。
一緒に住んでもらえないだろうか?

そう言うと、アーサーは目をまん丸くした。
でも否とは言わなかった。
ただ
「えっと…猫の代わりに家で飼われて欲しいって話…です?」
と聞き返してきた。

「…そんなもの…って言ったら軽蔑するか?」
「…んーー別に軽蔑とかは…」

悩んでいるようだ。
そりゃあそうだ。
自分でも突拍子もない話だと思う。
露骨に怪しい。

それでも…
「即Noって言わねえんだな」
と、まあ断られるだろうなと思って苦笑するギルベルトに、アーサーは至極真面目な顔で言った。

「言いませんよ?だって言ったでしょう?俺、ギルベルトさんのファンでしたし」
そう言う問題か?と思うのだが、アーサーは当たり前といった顔で突拍子もない事を言う。
「もう俺を気にする人間なんて誰もいないし、暮らすのは良いんですけど…」
「へ?良いのか?」
「ええ。ただ問題が…」
「…問題?」
「…猫の代わりって言う事なので、猫ってどういう風にすればいいのかわからないんです」

ぷはっとギルベルトは吹きだした。
本当に…思い詰めていただけに一気に力が抜けた。

「うん、別に好きにしてればいいんじゃね?
猫種によっても猫の個体によっても性格なんて違うし。
ただ俺が帰って来た時に、おかえり~って駆け寄ってお出迎えしてくれればそれで」
「それだけで?あとは?」
「きまぐれで好き勝手してんのが猫だろ?」
「なるほど」

その日はカップと針箱とテーブルクロスとタペストリだけ車に詰め込んだ。
アーサーいわく他のものは別に良いと言う事なので、後日代理人に片付けさせる。

そう、ギルベルトはこうしてお気に入りの子猫を見つけてお持ち帰り。
大きな鈴の付いたチョーカーは、猫っぽいからという子猫の希望でギルベルトが買ってやって、毎日ギルベルトが帰宅すると、奥から子猫がちりんちりんと鈴を鳴らしながら駆け寄ってきてお帰りを言ってくれる。


弟が出て行ってからはしばらく気を使って仕事の後に食事に誘ってくれていた悪友達は、やがて誘っても誘っても断って帰るギルベルトに
「ギルちゃん、もしかして猫飼ったの?」
「どんな子なん?可愛え?今度会わせたって」
と聞いてくるので、ギルベルトは答えるのだ。

「丸一日ペットショップ歩きまわって見つけたすっげえ可愛い子猫をその日のうちにお持ち帰りしたんだけどよ、マジ可愛い。
ありえねえくらい可愛い。
もううちのアルト以上に可愛い猫なんて世界中探してもいねえな。
金色の毛にすっげえ綺麗なグリーンアイ。
このグリーンの色合いに一目惚れしたわけなんだけどな。
会えばみんな絶対に欲しくなっちまうから、絶対に誰にも会わせねえ。
俺様だけの大事な子猫だからな」

そんなギルベルトの猫自慢は悪友だけにとどまらず、あちこちでされたので、ギルベルトの愛猫のアルトゥールは芸能界やギルベルトのファンの間でも有名になったが、そのお猫様が掃除や洗濯、裁縫に至るまで、料理以外の家事を完璧にこなしつつ、『おかえり、ギル。腹減った』などという言葉で毎日ギルベルトを迎える猫と言う名の青年である事を知るのは、ペットの猫(仮)のアーサーと飼い主のギルベルト、その2人だけなのであった。



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