オンラインゲーム殺人事件_Anasa_第六章_1

嵐が過ぎ去った朝の話(26日目)


朝…アントーニョはむくりと起きだすと、昨日脱ぎ捨てたジーンズだけを履いて洗面所に向かった。
そして乾燥機の中から昨日放り込んでおいたTシャツを出す。
乾燥機にかけたため皺だらけになっているが、アイロンも面倒だしそのまま着込んだ。

それからふとマナーモードに設定していた携帯を確認すると、履歴いっぱいギルベルトの名で埋まっていた。
「ギルちゃんやし…ま、ほっといてええか。」
と薄情なことをつぶやきながら、それをジーンズのポケットにつっこむと、アントーニョはかつて知ったる他人の家とばかりにタンスからエプロンを出して身につけ、そのままキッチンに。

しばらくアントーニョの家の方に泊まっていたため、冷蔵庫に卵くらいしかないのにがっかりしつつも、冷凍庫に多めに燻して作り置いておいたベーコンがあるのを思い出して、冷凍のパンを解凍してベーコンエッグとトーストにすることに。
紅茶…はどう考えてもアーサーが入れた方が美味しいのだが、仕方ない。
野菜がないのがとても残念だが、とりあえず朝食の体裁は整えてトレイに乗せると、まだ夢の中であろうアーサーが眠るアーサーの私室に向かった。

昨夜は半ば強引に言質を引き出してしまったが、気持ちが伴っていなければ意味がない。
とりあえず逃げ道をふさげたところで、あとはゆっくり気持ちを引き出していかなければ…。
そのためにはまずは美味しい朝食からだ。

アントーニョはトレイを片手に持ち変えると、そっと部屋のドアを開ける。
それから起こさないようにまたそっとドアを閉め、トレイをベッド脇のサイドテーブルに置いた。
アーサーはそんな動きにも全く気付かず熟睡中だ。

(疲れてるとこにさらに疲れるような事さしてしもうたしなぁ…)

こんなに早い段階で迫るつもりはなかったのだが、いきなり思い詰めた目でカッターを見つめているアーサーを見て、とにかく早く捕まえておかないと、と、焦って行動に出てしまった。
もともと深く考えずに段取りをすっとばす方ではあるが、いくらなんでも一足飛び過ぎたかと自分でも思う。
でも…そく捕まえておかないとダメだと思ったのだ。

「あ~ちゃん、おはようさん」
なるべく優しく明るい調子で呼びかけつつ、アントーニョはアーサーの頬にチュッと口づけを落とす。
「…ん~……」
くすぐったいのかむずかるように首を振るアーサーに、
「ご飯やで。起きたって?」
とくすくすと笑いながら声をかけると、ぽやぁ…っと目を開けたアーサーはぼんやりした目でアントーニョを見上げた。
「目、覚めた?おはようさん。ご飯できとるで」
少しかがんで視線を合わせるアントーニョをしばらくまだ目が覚めきらないまま見上げていたアーサーは、やがて記憶がつながったらしい。
かぁ~っと一気に赤くなると、バっと頭から布団をかぶった。
『…ありえねえ…死にたい……』
布団の中からぶつぶつと聞こえる物騒なつぶやきに、アントーニョは眉をしかめた。


「死にたいはやめたってっ。冗談にならへんわ。」
頭まですっぽりとかぶった布団の上からぎゅ~っと抱きしめるように体重をかけられ、そう降ってくる言葉にアーサーはとりあえず黙り込んだ。
昨晩自宅に戻って衝動的にカッターを手にとった所を目撃されて、アントーニョには心配をかけたであろう自覚はさすがにある。
なので、死ぬ…という言葉は禁句かもしれないのでそれ以上は飲み込んでおく。
それでもあれはない…と、我ながら時を遡って過去を改ざんしたくなった。

おそらく昨日自分は体力的に疲れていた以上に精神的にボロボロだったのだと思う。
アントーニョが何を思ってあんなことをしたのか、もしかしたらショック療法か何かのつもりだったのか…とにかく向こうの意図はいまだ謎なのだが、差し伸べられた手を振り払うという選択が全く思いつかなかった。

口づけられて抱きしめられて…他人に触れられた事など当然ないような部分に触れられると、物理的な刺激による快感以上に、今その瞬間に求められている事に心が喜んで、泣きながら自分から求めてしまった。
女の子ならそれも可愛らしいで済むのだろうが、男がいきなりそれはさぞや滑稽で気味が悪かっただろう。
…引かれたかもしれない…いや、かもしれないじゃなくて、絶対に引かれたっ…。

アントーニョは良い奴だから、一応誘拐などあったあとだし気遣って朝食までは用意してくれたようだが、さすがにこの後は距離を置かれるだろう…。
そう思ったらじわりと涙があふれてきた。

寂しい…一人は嫌だ…やっぱり死にたい…。

「あ~ちゃん?!」
しゃくりをあげていると、少し驚いたような声とともに有無を言わさず布団が引っぺがされた。

「どないしたん?!どっか痛い?」
丸くなる緑の目。
こんなに近くで見られるのはこれが最後かもしれない…そう思うと胸が詰まって言葉が出ない。

「…いやだ……」
ようやくそれだけ言うと、小さく首を横に振った。
その言葉にアントーニョの表情が一瞬かすかに曇る。
しかしそれは本当に一瞬で、すぐに困ったような笑みに変わった。

「あーちゃんが嫌ならもう何もせえへんよ。堪忍な。俺もちょっと焦ってしもてん。」
「嫌なのは…トーニョだろ…」
言われてる事がよくわからない。グチャグチャな思考の中でそう言い返すと、アントーニョの顔から笑みが消えて、代わりにきょとんとした表情が浮かんだ。

「俺?俺が何?」
「俺のこと…嫌になったんだろ…」
「ちょ、ストップ…何いうてるん??」
本気で驚いたように目を丸くするアントーニョ。
え~と…と、眉間に手をやって考え込んだ。

「もしかして…昨日言うた事、まだ信じてもらえてへんの?…てか、前進どころか後退してるやん」
アーサーに言っているのか独り言なのかよくわからないつぶやき。

やがて、
「あんなぁっ」
と、アントーニョはガバっと上から覆いかぶさるように横たわるアーサーの左右に手をついて上からアーサーの顔を覗き込んだ。
「はっきり言って…フランみたいな老若男女OKな奴ならともかく、俺みたいに普通の男やったらよほど好きやなかったら男襲ったりできへんで?そりゃ最近一部では流行りかもしれへんけど、一般的に見たらどう考えても俺変態やん。これが俺やのうてギルちゃんとかやったら、俺かて絶対に指差してからかっとると思うし。でも何言われてもかまへんほど、あーちゃんの事好きやねん。なのになんで嫌になったとかいう話になっとるん?」

「だって…呆れただろ…」
「いや、だから何に?」
「…だから……その…」
「…うん?」
「…変な事言ったりとか…変な声だしたりとか……じ、自分からあんなこと……」
羞恥で真っ赤になりながらずるずるっと口元まで布団を引き上げて、アーサーは視線だけをアントーニョに向ける。

「あ~…うん…たった今あきれたわ…」
アントーニョはがっくりとしゃがみこんだ。
「…トーニョ?」
アーサーが恐る恐る半身を起してベッド脇にしゃがみこむアントーニョを見下ろすと、アントーニョはバッと顔を上げる。
「あのなぁ…自分朝っぱらから襲われたいん??」
「へ?」
きょとんと小首をかしげるアーサーに、それやっ!とアントーニョは指をさした。
「??」
まったく何を言われているのかわからず戸惑うアーサーに、アントーニョは大きく息を吐きだした。

「なんでいちいち朝っぱらから言うことも仕草も可愛ええねん!あかんわ…ちょっと待っといて。」
これ以上こうしていたら本当に朝っぱらから襲いそうや…男子高校生の性欲なめとんな、この子は…と、アントーニョはとりあえずトイレに行こうと慌てて立ち上がるが、クン!とTシャツの裾を引っ張られて阻止される。
顔だけ確認のため振り向くと、涙目で見上げるアーサー。

ああ…もう襲ってええよな?俺ちゃんと我慢してはみたやんな?これ襲ってくれって言うとるようなもんやんな?
アントーニョは体ごと振り向くと、自分のTシャツの裾をつかんでいるアーサーの手を外させて、その両手首をつかんだ。
そしてそのまま自分もアーサーの上に馬乗りになるようにベッドの上に乗ると、少し後ろに倒すように力をかける。

ぽすん!と何の抵抗もなく押し倒されたアーサーは不思議そうに眼を丸くしてアントーニョを見上げた。
昨晩すでに自分に襲われているのに、これから何をされそうになっているのかまるでわかってないようなその様子に、アントーニョは内心ため息をつく。

この子…こんな無防備でええんかい?
と思いつつも、口づけようと顔を近づけた時、ジーンズのポケットの携帯が鳴った。


「はい?もうなんやろ…空気読んどるんか読んどらんのかわからん奴やな、ギルちゃん。」

とりあえず昨日の着信履歴を見れば出るまで鳴らしそうどころか押しかけてきそうな気もするので、電話に出ると、
『なんだ、それ!昨夜はどうしたんだよ?何度も電話もメールもいれたんだぞ』
と、ギルベルトが批難の声をあげた。

「あ~、昨日は忙しかってん」
『アーサーん家いるんだろ?何が忙しいんだよっ』
「そんなん決まっとるやん。久々にあーちゃんと二人きりやってんもん。ギルちゃんの声聞くよりあーちゃんと愛語る方が大事やろ、普通。てか、比べるのも悪いわ。」
『……お前……言ってて恥ずかしくないか?』
「恥ずかしいわけないやん。そんなん言うてるから、ギルちゃん童貞なんやで?」
『童貞関係ねぇ!!!』

長引きそうな電話に、また眠気が襲ってきてアーサーは小さく欠伸をする。

「ああああ~~~!!!!!」
『っ?!どうしたんだっ?!!』
いきなり叫んだアントーニョに驚いて聞くギルベルト。
「あ~ちゃん、かわええ…。眠いん?ちょ、待っててな。寝てもええんやけど、その前に飯食わな。」
電話を放り出してアントーニョはベッドから降りると、トレイを用意する。

放り出されたまま放置されているとも知らず話し続けるギルベルトの声が聞こえる携帯を、アーサーが拾い上げた。
「ギル、トーニョは携帯放り出して飯の準備してる」
空気に向かって会話を続けているギルベルトに、アーサーは現状を伝えた。
携帯の向こうからはギルベルトのため息。
しかしすぐ、ま、いっか、と返ってくる気にしなさ加減は以前のフランと一緒だ。

『言い忘れてたけど俺の親警察関係者でさ、俺は事情説明したりすんのにしばらくこっちいるけど、なんかあったら電話くれれば合流すっから。犯人捕まってもう顔バレの危険もなくなったから、アントーニョうっとおしかったらフランも呼びつけていいからな?』
とギルベルトが言うのに返事をしようとした瞬間、手から携帯が取り上げられた。

「ギルちゃん、余計な事言わんといてな。あーちゃんには俺がついとるからギルちゃんは好きなだけ臭い飯食っといて」
『俺は牢屋いれられてるわけじゃねぇ!!』
叫ぶギルベルトに構わず、アントーニョはブチっと携帯を切る。

「…いいのか?」
「ええねん。」
アントーニョはそのまま携帯をまたジーンズのポケットにねじりこむと、半身起こしているアーサーの膝にトレイを置いた。

「ちょっと冷めてもうたけど食おうか。」
にこりと言うアントーニョはいつもの笑顔で…とりあえず嫌われたわけではないことにホッとして、アーサーは差し出されたフォークを手に取った。




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